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日記はタイトルを決めるのが一番難しい。
2008-02-01 Fri 23:58
旅立ちから29日目の見聞録。
現在放浪5ヶ国目。
「インド」の「トリヴァンドラム」に滞在しています。



【 2月1日 前半戦 】

深夜0時過ぎ。コーチンのエレナクラム・シティ駅に到着。
インドの中規模クラスの駅にはリタイアリングルームというのがあって
安く駅の仮眠室のようなところで寝れるらしい。
実はそれを期待してやってきた俺。
「この駅にはない」と一蹴されリアルに焦るハメに。
う~ん・・・まじで駅で野宿できるような環境じゃない・・・。
夜の暗闇の中でも相変わらずめちゃみんな見てくるし・・・怖い。

よしこうなったら更に次の目的地のアレッピーまで行こう!
地球の歩き方にコーチンからバスは24時間出てるって書いてあったからいけるっしょ!
ってことでおそるおそる深夜のリクシャーに乗り無事バスステーションに到着・・・

「暗っ!!」

うわぁ~、やっちゃったかやこれ??
とにかく暗いのに人がいるのがまた怖い。
失礼ですが夜見るインド人はちょっと怖いです。暗闇でみんな白い目がこっち見てるんだもん。
そりゃ怖いさ。
それでもほんとにバスはあるらしく超重い荷物背負って乗り込む。
窓なしの民間バスだ。
ここから2時間程度でアレッピーにつくらしい。
着いてしまえば宿のひとつやふたつあるでしょ!ってことでなんとなくノリでまた出発してしまう。

途中、道の真ん中で牛が数頭眠っていてバスが停まった。
クラクション鳴らしてもどかない牛は添乗員が優しくどかしていた。
インドの日常風景ですな。

あ、写真なんてないですよ。
ほんとにカメラだす状況じゃなかったです。
問題ないのかもしれないけどそれでも暗闇でかなり不安覚えてましたから。

「アレッピー。」無愛想だけど教えてくれた添乗員にお礼を言い、地に足をつける。


「暗っ!!」


うわぁ~、もっと暗い・・・。
やばいなこりゃぁ・・・どおしよう。
この暗闇と不安の中、何人か近寄ってくるリクシャーやホテルの客引き。
こーいうときばかりはしょうがない。俺は超感じ悪いジャパーニーに豹変する。
基本完全無視。
しつこいやつとか腕つかんでくるやつにはめちゃ日本語でキレる。
でもあんまり過激にキレて相手を怒らせると怖いのでソフトにキレる(この加減がまたディフィカルト)。
とりあえず近くのホテル数件の従業員をたたき起こして聞いてみるが部屋はないらしい。
眠たいのでしょう。めちゃ不機嫌。
ほんとに満室か夜中だからめんどくさいのか知らんがこりゃ本格的に困ったちゃんだ。
まだ深夜3時前。朝を迎えるには少々きつい。
結局一番人がよさそうな(独断と偏見)客引きに「騙されたらその時だ」と腹くくってついていった。

案外普通のホテルにつれていってもらった。あら・・・ごめんなさい、疑っちゃって。
少々高かった(と言っても南インドじゃこんなもんか?くらいの)けど背に腹変えられん!
チェックイン。
客引きに数ルピーのチップをあげてお礼を言い、別れる。
部屋がどうとかもうどうでもいい~!おやすみ!

south-india.20
別に汚くない部屋。十分寝れます。


【 2月1日 後半戦 】
8時前に起きました。
実は今日はアレッピーからクーロンという街までバックウォーターという船の旅をすることにした。
そのチケット発売時間が朝9時半ということで早めに起きてひさしぶりのシャワーを浴びる。
ヒゲも剃る。歯は・・・毎日磨いてます(大丈夫ですよ、先生)。
しかしこう移動日が続くと洗濯できないのがつらい。
下着も結構捨てちゃってたから必要最低限しか持ってないんでねぇ。
まぁ最悪ノーパン、あるいは裏返して履くだわ。
ってか裏返して履いたら全部のパンツ、倍履けるんじゃね??(←お馬鹿)
貧乏旅行ってこんな世界ですよ(笑
聞いた話だと女の子なんて「パンティーで体洗うのなんて普通」ってさらっと答える子いますもん。
そのためにシルク(だったかな?)のパンティーしか持ってきてないらしい(笑
まぁお上品に旅したかったらバックパック背負ってる時点で間違ってるもんね。
と、いう考えが旅に出てそろそろ一ヶ月経とうとしている今、リアルに定着してきました。

ってことで不潔とか細かいこと言ってたらやっていけません。
だってここインドですよ!!どんなに気をつけてたって不衛生なんですもん。
日本と比べちゃ駄目駄目駄目~♪

無事チケット購入して船に乗り込むが出発は10:30らしいので一旦降りて
朝飯を食べにいく。
しかし暗いとあんなに怖かったアレッピーの街も明るいと割と感じいい田舎街に変貌する。

south-india.21
昨日に引き続き・・・。

近所の食堂らしき店はメニューがなく出てきたのがこれ・・・
昨日食ったやつじゃん!確かAPPAMとかいう米の蒸しパンみたいなやつ。
ってことは・・・やっぱり。カレーがなんか酸っぱいんだよねぇ。。。
俺は坦々麺とかのあの「酸っぱ辛い」味付けってのがすごい苦手。
あぁ、昨日の店は間違ってなかったんだ。こーいう味付けなんだ。。。
ちょっとしんどかったけど昨日からずいぶん長い間なんにも食べてなかったし
これから長時間船に乗るからまた食べる機会はほとんどない。
我慢して全部食べる。そして意外にも初の右手オンリーの食事。
こーいう食堂には必ず手洗い場があって、インド人は食前食後の手洗いと食後のうがいをかかさない様子。
だからか知らないがインド人は虫歯になる人が少ないらしい。
とりあえずインド人に従ってやってみる。
ちょっと抵抗あったけど慣れてしまえばなんでもない。

そして食後のチャーイにまじでホッとする。
寝起きのチャーイはクセになる。
コーヒーよりこの甘ったるいチャーイが俺にはぴったりだと思った。

south-india.25
さぁ!クルーズスタート!

このあたりは無数の川と入江が複雑なデルタ地帯を形成する地域。
とにかくここがインドということを忘れるくらいのヤシの木と南国風景の中を
船がゆっくりゆっくり進んでいく。
ディズニーのジャングルクルーズリアル版って感じ。
ワニとかはでてこないけど(笑
ワニはでてこなくても人々の水上生活が見れたり、
「チャイニーズネットフィッシング」というここだけの独特の漁法が見れたりとネタにつきない。
そして俺達の船を見てしきりに手を振る子供達。
なんてかわいい・・・なんて叫んでるだぁ?

「なんかくれぇ~!!」(的な英語)

・・・気分台無し。
旅行者が船からペンとか投げるんでしょうね。
なんかもらえると思って追っかけてくる子とかもいました。
なんだか複雑な心境になったわw

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ヤシの木が生い茂ってる。
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すげぇいい景色。日本でイメージしてたインドじゃない!
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やぁ!
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昼飯。はじめてバナナの葉に乗った料理食った。すげぇ★
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チャイニーズフィッシングネット。
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性格なんでしょうね。決められた場所に長時間いられない。ここに座るとめちゃ気持ちいい♪

「つよく手を振って あの日の背中に さよならを」
i-PODからこのフレーズが出た瞬間、夕日の形がわからなくなるくらいの涙がでてきた。
わからないけど泣いた。でも不思議と前向きな涙だった。
弱い自分が大嫌いで、でもどーすることもできなくて一人でずっとあがいてたのに・・・。
旅に出てよかった。
いろんなものを捨てることができたことでもう一度出発できる気がしてきた。
なにが俺をそうさせているのかはまだわからない。
けど涙を拭いた後は前向きな気持ちでいっぱいだった。

父さん、母さん、俺は今本当にいい笑顔をしていると思います。
この笑顔がこの目に映る人たちに伝わった時、本当に幸せな気持ちになります。

south-india.29
相変わらずインドの素敵な夕日。


無事8時間のクルーズを終えクーロンに到着したのが18:30前。
まだ次の街にいける時間だ。
ってことでそのままバス停に向かいトリヴァンドラムという街へいくことに。
所要2時間。順調にいけば20:30にはつくな。
超満員のバスの中で俺の超でかい荷物はかなりインド人の反感を買ったことだろう・・・。
ごめんね。
なんとなく人が降り始めやっと座れた3人掛けの一番窓際。
となりに座ったイスラエル人の夫婦がすげぇいいやつらでかなり意気投合した。
この旅で外国人とここまで意気投合したのは初めてだ。
彼らは友達に日本人がいるらしく日本語もちょっと勉強しているんだそう。
彼らの日本語の勉強が俺の英語の勉強にもなってすごい楽しかった。
しかもイスラエル人って俺の酷い英語力にもめげずにわかるまでゆっくり話してくれる(泣
や、やさしす・・・。
それに引き換えこのあと泊まったホテルのおっさん!
なんて言ってんのかさっぱりわからんのに「なんでわからんのだ?」みたいな感じで小馬鹿にされた。
く、くやしい・・・。
そりゃ俺の英語力が低いのが悪いけど・・・
インド英語は発音もちょっと違うし巻舌だし、「ゆっくりしゃべって」ってお願いしても
絶対ゆっくりしゃべってくれない(まじで)!!
ちなみに一緒の宿だった仲良くなったイスラエル人も「よくわからない」って言ってました。
そのくせめちゃめちゃ話しかけてくるし質問には答えないし、すごい勢いでまくしたててくるし、
なんか上から目線でしゃべってくるしで・・・まぁたキレちゃいました(反省
日本語でめちゃ怒ったら「まぁ落ち着け」みたいな感じでなだめられた。



あぁ・・・俺ってなんて心の狭い・・・



前言撤回。
素敵な笑顔はどこかへ消えてしまいました(笑
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入国8日目にしてインド亜大陸最南端到着。
2008-02-02 Sat 23:59
旅立ちから30日目の見聞録。
現在放浪5ヶ国目。
「インド」の「カニャークマリ」に滞在しています。



昨日宿のおっさんともめたおかげで今日朝早くチェックアウトしないといけないのが理解できた(笑
相変わらず朝から話しかけてくるけどなんかメンドクサイなぁ・・・
今日から辞書を出しやすい位置に移し変えた。
今回荷物で電子辞書を持ってこなかったのは大失敗だった。
あれは便利です、持ってきましょう。

さて、独りバスステーションに向かいバスを待つ。
改めてあたりを見渡すと99%インド人。
日本人おろか欧米人さえ見かけない。
でもなんかこのアウェー感にも慣れた。
そういえばここ最近日本人とまったく絡んでないなぁ。

親切なインド人のおじさんがバスを教えてくれた。
更に俺のでかい荷物を見て一番前の女性専用の席に座ることを運転手にお願いしてくれた。
ここはスペースが結構あって俺の荷物も邪魔にならない。
次の目的地カニャークマリまでは3時間くらいかかるらしいから非常に助かった。
予想通りチップを要求されたが助かったので抵抗はまったくなかった。
しかし相変わらず相場がわからない。
とりあえず5ルピー(15円くらいかな)をあげたら満足してくれた。
多いのか??まぁいいや。



突然ですがインドの道路事情について。
道路上最強ランキング(俺の独断と偏見調べによる)

1位:警察車両
   やはり権力には敵わないのか。日本でも一緒か。

2位:バス
   さらに近距離ローカルより長距離のが強い気がした。あとでかいやつw

3位:タクシーとか乗用車
   一般車両。

4位:リクシャーとかバイク
   リクシャーはタイで行ったらトゥクトゥクですな。

最下位:歩行者

勝手に思っただけですがアジアはどうしても「歩行者優先」って言葉が見当たらない!
なんど轢かれそうになったことか(汗
そしてインドで権力の次に強いのは・・・バス
今日乗ったのはまたすごかった。
かなりでかいバスだったんだけどとにかく最低でも5分に一回はクラクションが鳴り、
3時間の行程で50回は「ヒヤリハット」があった(汗汗汗
インドは人が多いから轢き殺しても平気なんか??
んなことないでしょ?
目の前に車が現れるととにかくクラクション鳴らしてむりやり抜こうとするし。
何度対向車両と正面衝突しそうになったことか(汗
運転手・・・めちゃ真剣だもん。スポーツ?誰かと競ってるの?
はっきり言って日本でやったら大問題な運転。
クレイジータクシーならぬクレイジーバスですわ。
でもこれがここじゃ普通なんでしょうね。

「ヘイ、ジャパーニー!このバスに乗ったらお前の命は俺が握ってるんだぜ!」
って無言で言われてる気がして胃が痛い(泣

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クレイジードライバー。彼からしたらまったく普通の運転でしょうね。

まぁいろいろありますがとうとう!
インド亜大陸最南端「カニャークマリ」に到着。
インドの先っぽですよ。
さすがに暑いぜ!
汗が止まらない・・・。
とりあえず宿を見つけないと。
何件か当たった後一泊150ルピーのシングルに決めた。
もっと安いところあると思うけどここに決めた。
部屋は5階、当然エレベーターなんてない。
設備もそんなにいいわけではない(トイレは若干匂う)。
しかしそれを補っても余りある窓から見える景色!!
海が見えるではないか!そして窓が多くて大きいからすごい開放的!
インドにきて一番気に入ったかもしらん。
ここ最近移動日が続いたからほんのすこしここで休憩することにした。
う~ん、快適。

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部屋も広い。ダブルの部屋なのに独りで泊まれる。
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窓から見た景色。アラビア海が見える。
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街で出会った少年。

そーいえば昨日の昼からなんにも食べてない。
ってかインドにきてからあんまり飯自体食べてない。
栄養不足と寝不足も合わさって具合悪くなってきた。
おまけに飯食いに外をふらふらしてたんだけど暑くて・・・軽い日射病。
急にドッと疲れが出た感じですな。
シャワー浴びようと思ってたまたま鏡見たら明らかに痩せてたもん(笑
ダイエットはうまく行ってるみたいw

とにかくカレー以外が食いたい!
そうそうカレーばっか毎日食えるか!
ってことで無難にハンバーガーとか探すけど全然ない。
インド料理屋ばっか。巡礼地だからそーいうのはないのかなぁ・・・。
しかたなしにちょっと高い感じのホテルのレストランでフライドライスを食った。
インドのフライドライスはなんか油っぽくてきつかったんだけど
やっぱりそうだった。
結局それも全部食えなくてノックダウン。
屋台でバナナ2本(一本2ルピー)買って部屋に帰る。
途中ネットカフェよったけど停電してて使えないなんていわれたし(笑
すごいなぁ。。。

ひさしぶりに衣類関係全部引っ張り出して総洗濯。
全自動洗濯機なんて当然ないのでひとつひとつ手洗い。
この暑さならすぐに乾きそう。
さぁ、お洗濯物も終わったし次は夕飯の買出しかしら。
ちょっと家庭の主婦気分。俺独りだけど(残念

洗濯終わって気持ちいいなぁ・・・なんてボーっとしてたらいつの間にか眠ってしまった。
あぁ、ひさしぶりに心地よく眠れる。。。

目が覚めたらまっくら!灯りが街自体に少ないから余計暗い。
しまったカニャークマリの夕日見忘れた!
まぁいいや。今日は休養日。
明日ゆっくり見よう。

晩御飯はベジカレーとやっと食べれた(ひと揉めあった)白飯。
ライスカレーや。

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なんで飯食うのもいちいち疲れるんだろぉ・・・。

カレー食ってるとき急に真っ暗になる。
また停電らしい。
しかも真っ暗っぷりがまたすごい。
ほんとになんにも見えなくなるくらいの真っ暗。
闇鍋状態。
でも別に誰も焦っていないので(おそらく日常なんでしょうね)俺も平静を装って
闇鍋ならぬ闇カレーを食べる(うまく食えないw)。
なかなか回復しないなぁなんて思ってたら突然エンジン音が鳴りはじめ電気がつく。
自家発電装置があるみたい。
店出たら街中からエンジン音が聞こえる。
ホテルに帰ったらホテルでもエンジン音が鳴っている(笑


まぁ暗くなったらはよ寝ろってこった。
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カニャークマリのクマリは「クマーリー=処女」って意味らしい。
2008-02-03 Sun 23:25
旅立ちから31日目の見聞録。
現在放浪5ヶ国目。
「インド」の「カニャークマリ」に滞在しています。



早朝5時・・・
街はガヤガヤと人の出す音でにぎわい始める。
ここはヒンドゥー教の聖地カニャークマリ(コモリン岬)。
インドで唯一太陽が海から昇り、海に沈む場所。
人々は朝日と夕日に祈りを捧げるために海へ集まる・・・。

カニャークマリにきたら朝日みないと来た意味ないでしょう、ってことで早起きしてみた。
まだ暗いけど街からは人の声と音楽が聞こえる。
ん?なんか頭痛いなぁ・・・。ま、いいや。とにかくガートへ急ごう。
ちょうど街の先端、インド亜大陸の先端ら辺にそのガートはある。
人々が沐浴をするときガートと呼ばれる(階段状の)場所に集まるらしい。
カニャークマリでは朝日と夕日の時間が近づくと「どっから沸いてでただ?」って
くらいの人が集まるらしい。
人々が太陽に向かって祈る姿を見たくてその場所へ向かった。

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こんな感じで海岸沿いにずぅ~っと続いてた。確かにいったい今までどこに隠れてたんだ?

すでに大勢の人で海岸は埋め尽くされていた。
これが毎日?!すげぇ・・・。
だんだんと空が明るくなってヴィヴェーカーナンダ岩の記念堂と巨大彫像を映し出す。
この時点で言葉が出ないくらい綺麗だったのだが残念なことに今日は曇りらしく
海から昇る太陽を見ることはできなかった。
そしてなかには祈りを捧げている人もいたが「全員が一斉に」というのは見れなかった。
う~ん、ついてない・・・。

更に残念だったのが巡礼地にも関わらず割とゴミが落ちてた(ヒンドゥー教徒の人は気にしないのかな?)のと物売りが気分を害してくれた。
カメラを売る物売りならまだわかるがかわいらしいぬいぐるみやら簡単なプラスチック製の飛行機プラモを学生相手に売ってるおっさん達・・・。
雰囲気壊すなぁ・・・。
人が集まる場所には必ず物売りがいてジャパーニーの俺にはどこに行っても売りにくる。
お願い、ほっといて。今俺ちょっと自分の世界に浸ってんだから。
インドにそんな気遣いありませんでしたとさ。

一度部屋に帰り頭痛が気のせいじゃないと自覚した。
試しに熱計ってみたら37.5度・・・。
でも風邪じゃないぞ。おそらく疲労から日射病みたいな症状がでてるんだと思う。
あいたたた・・・インドきてから体調壊してばっかだわぁ。
まだ一回も腹は壊してないけど(ふぃ~)。
しかし明日また移動する予定故一日中寝ているわけにはいかない!
持ってきた解熱剤を飲む為にとりあえずすきっ腹に朝食を!

south-india.36
超かわいい姉妹。右の子はお父さんに怒られてめちゃめちゃ泣いてました。どの国でも一緒だね。

まずいくせに全然量もないチーズサンドイッチを食べる。
よく見るとアリがパンの中を・・・。
やっぱインドにきたらカレーが一番まともな食事だ。
解熱剤を飲んで元気だそう。


そこから歩くこと2分程度でボート乗り場へ到着する。
これからボートに乗ってカニャークマリのシンボル、ヴィヴェーカーナンダ岩の記念堂と巨大彫像を見に行くことにした。
ボートに乗るのに結構待つと聞いていたが実際俺も40分弱並んだ。
その間目の前にいたインド人のお父さん(めちゃ原色ブルーのポロシャツ着た)と会話して時間を潰した。

そこで急にあることに気付いた。
インドに入国してから腹が立ってしょうがなかったインド人って・・・お金が絡む人が大半だってことに。
客引き・リクシャーワーラー・物売り・ホテルの店員・レストランのウェイター・旅行会社の人間・・・
逆にお金に関係ない出会いをしたインド人はみんなすげぇいいやつらばっかだった気がする。
きっと「お客様は神様だ」っていう日本の常識にとらわれるてるから腹立つだんだろなぁ~。
こっちは売り手のほうが立場が強いのか、すげぇ無愛想なやつとか、
呼んでも無視するやつとか、日本の「お客様は神様だ」理論で言ったら絶対ありえない人が多い。
昨日の夜、レストランでベジタブルカレーとプレーンライスを注文した。
それを受けたウェイターはそのまま店の外にでていって携帯でなにやら楽しげに会話しだした。
「おい、ふざけんなよ!」っていってもまったく無視。
すげぇ・・・。いちいち怒っててもキリがない。あげくの果てにその後ライスがどうのこうのいいだして「ノー ライス?」って聞いてもよくわからん答えばっか返ってきたもんで
どうしたもんかと困ったちゃんしてたらちゃんとベジカレーとライスが出てきた(笑
MO~~~~いったいなんだったのぉ?問題ないならなんもなしで持ってきてよ~。疲れる。

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ボートの中は99%インド人。1%が日本人の俺。ギュウギュウ詰め。
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ヴィヴェーカーナンダ岩の記念堂。
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記念堂上でかわいい女の子と。

なんでもヒンドゥー教の宗教改革者ヴィヴェーカーナンダさんが瞑想にふけった場所として
この場所に記念堂と巨大彫像が建てられたらしい。
こんな岩の上で飯とかどうしてたんだろう?すげぇなぁ~。

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巨大彫像。とにかくめちゃでけぇ~!!
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巨大彫像のでっけぇ足の上で子供達と記念撮影。
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帰りのボート待ちのときに後ろにいた綺麗な女性。インド美人。

ボートを降りてからそのままガーンディー記念堂にも足を運んだ。
やはりインドではほとんどの紙幣にも印刷されているくらいガーンディーの影響力は強いみたい。
「服従はしない。けどやり返さない」。究極の思想だと思う。
カンボジアのアキ・ラーも自分の両親を殺したポルポト軍兵士を憎んでいますか?と聞かれて
「ノー」と答えた。
「彼らを憎み、やり返せばまた同じことの繰り返しだ」と答えた。

弱い俺は今まで虐げられたら形を変えてでもやり返してきた。
でもそれで心が晴れたことは一度もない。
その後の人生もずっと苦しんで生きていくだけだった。
それが原因で大事な人も自分自身のプライドも無くしちゃった。

ガーンディーやアキ・ラーの軌跡に触れて・・・もう一度自分自身を見つめなおす必要があるなぁ。

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ガーンディー記念堂。ガーンディーの遺灰の一部がこの海に撒かれたことによって建てられた。

やぁっとネット屋にいけた。
溜まってたブログの更新とメールの返信をさくさくっと2時間かけて(長っ!)こなす。
日中出歩くのはやめよう。
外は日本の絶好調真夏日くらいの気温だ・・・。




だらだらだらだらだらだらだらだらだらだら~っと過ごす♪



日が落ちてきてやっと出歩けるくらいの気温になる。
夕日を見に行こうと海岸まで行くが曇りで見れず。
明日の朝がラストチャンス!これでも見れなかったら残念無念。
独り波打ち際で座ってた。

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夕暮れ時のヴィヴェーカーナンダ岩の記念堂と巨大彫刻をバックに。ちょんまげ。

しばらくしてちょっと動こうと思ったとき久しぶりに日本人らしき東洋人男性に出くわした。
「Where Are You From ?」俺がこの旅で一番聞かれて一番聞いてるフレーズ。
「I Came From JAPAN.」「Oh~!」
Mさんは有給休暇を使って南インドを旅する為に昨日入国したそう。
日本からシンガポールを経由してトリヴァンドラムInらしい。
久しぶりにジャパーニーと出会って久しぶりに日本語しゃべり倒してみた。
意思疎通できるって素晴らしい・・・。
最低限の英語はしゃべれるようになりたいねぇ・・・(ただ今猛勉強中)。

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Mさんと俺と一緒に写真撮ってくれと頼んできたインドの人達。インドの人ってあんまポーズとらないよね。
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夜のヴィヴェーカーナンダ岩の記念堂と巨大彫刻。ライトアップされています。



明日は居心地のいいカニャークマリを離れインド第四の都市チェンナイへ向かうことにした。
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「今はただ、本能のおもむくまま前進あるのみ」の巻。
2008-02-04 Mon 23:12
旅立ちから32日目の見聞録。
現在放浪5ヶ国目。
「インド」の「カニャークマリ」に滞在しています。



そういえば旅が始まって今日から2ヶ月目。
旅していること自体に若干慣れ始めたのか、
スタート当初に感じてたようなストレスはかなりなくなってきた。

そして自分の旅のスタイル(・・・というか性格そのものだと思うけど)は
完全な「移動型」だとわかった。
当然予算の関係もあるがまだ「沈没」っていう行為に魅力が持てない。
「滞在型」の人にはよく「もったいない」って言われるけど同じところでジッとしてると
ウズウズしてしまう・・・。
常に新しい刺激を感じていきたいから今はこのスタンスでいいや。
いっぱい刺激感じて自分がどうなるのかすごく客観的に見てみたい。
確かに長く滞在しないとその街の良さなんてわかんないだろうけどね。
それはよくわかります。
いつかその「必要性」と「そうしたい」が一致したとき実施しようかなと思ってます。

east-india.2
この宿、カニャークマリにきたら泊まってみたらいかがでしょうか?おすすめは5階です。

まぁそんなこんなで本日カニャークマリを離れインド第4の都市「チェンナイ」へ向かうことにしました。
最後のチャンスと息巻いて望んだ朝日は・・・昨日より曇っててまったく見えず。
残念無念。これだけがここの心残りだ・・・。

そーいえば朝日を待っているとき日本人ツアーの団体客と出会った。
皆様定年退職されたくらいのお年の方々なのにとてもパワフルでほんと羨ましかったなぁ。
「インドは若くて体力あるうちに」なんて思ってたけど気持ちが若い人達には年齢なんて
さほど関係ないんだなぁ~って感じさせられたよ。
「次はベネズエラにいくのよ」「今までに85ヶ国くらい周ったわ」なんてことを
うれしそうに話すおばさま、とても素敵でした。
憧れの大人のスタイルをまたひとつ発見しました。

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俺とMさん、おじさま・おばさまとなぜか居合わせたインド人修学旅行(Or遠足?)生と!


チェンナイ行きの列車が(なぜか)うまくとれなかったことからバスで行くことにした。
時間にして13時間くらいらしいのでちょっと贅沢だけど寝台で行こうと思った。
ただ選んだ旅行会社がまずかった・・・。

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問題の旅行会社。

結論から言うと寝台バスを手配したらおんぼろのノーマルバスがやってきた・・・。
しかも汚い。まじで汚い。初めてこんなん乗ったわっていうくらい汚い。
乗っているだけで顔から手から足まで砂だらけでジャリジャリになる。
当然エアコンなるものなんてない。
文句言おうにも店とバスストップが離れている為戻るのもめんどくさいし今日の移動自体がパーになる。
泣く泣く乗り込みぼやく。
「こいつで13時間かぁ・・・」。。。







憂鬱になってきた。







ボクちんの車窓から。

なかなか発車しないバス。でもひとたび外を見渡せばネタがつきないのがインド。
その中のひとつ。
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バスの天井にバイクて!どーやって運んだんだ?(笑)
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あ、おっさんが新しいバイクを・・・
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何人かで持ち上げて・・・んん??!!
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えええええええええ????????!!!!バイクだよ!?250ccクラスの・・・。
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無事到着。インド人の頭はなんでも運べる超便利使用になっているらしい。


世界にはいろんな人がいるんだなぁ~。

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月並みな言葉。
2008-02-05 Tue 23:15
旅立ちから33日目の見聞録。
現在放浪5ヶ国目。
「インド」の「チェンナイ」に滞在しています。



east-india.9
でけぇ!

想像通り今回のバストリップは痛かった。
荷物を天井に載せてなにやらうだうだやってて1時間半以上進まない、
その荷物のせいかしらんけどしょっちゅう停まる、
13時間くらいって聞いてたのに結局18時間近くかかった、
となりに座ったおばちゃんは何回注意しても俺の荷物におもっきり足乗っけてくる(笑)、
バス内の巨大音声DVDは今回は最初から最後まで止むことがなかった、
到着して気付いたが荷物入れに入れてたバックパック真っ黒にされた、
とにかく埃っぽくてまともに目もあけてらんないし・・・。
とにかく予想外の予定外。
そして最悪中の最悪な出来事が!
なんか痒いなあ~なんて思ってたら手足に恐怖の発疹が!!
シートが汚すぎてどうやらダニだらけだったらしい(ほんとにダニか??焦る)。。。

これにはほんとに凹んだ。

まじで痒いし、かいちゃうとどんどん酷くなってきて腫れてきちゃうし・・・。

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写真だとわかりにくいけど両手両足こんな感じで腫れてきた・・・。

ほんとはチェンナイで一泊してマハーバリプラム観光とか行こうと思ったけど一発でそんな気失せた。
痒みでイライラしながらそのまま駅に直行し今夜発のコルカタ行きの寝台列車を予約した。
今夜23:35発チェンナイ → コルカタ行き。
初めてだったけど「外国人専用窓口」なるものがあって非常にスムーズに予約できたのはすごくよかった。
そーいえば昨日からちょうど24時間。
飯らしい飯をまったく食べていない。
バスの汚さからとてもなにかを食べるという気が起きず、水とお菓子で飢えをしのいできた。
チェンナイで飯を食べようと思い街を散策することに。

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チェンナイ中央駅。綺麗な外観。
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なんだか素敵な建物。
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交通整理のやつ。ってかインドに交通ルールあったんだ(笑
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そりゃ、あなたくらい美人ならねぇ・・・

結局なんかピンとこなかったんで久しぶりにハンバーガー食って腹を満たした。
ついでにチェンナイでやっときたかったことがひとつ。
航空券のDAY-FIX。
前回キャンセル待ちでうまく乗れたけど今回もそうとは限らない。
ついでにフライトスケジュールも知りたかったんで航空会社へ足を運んだ。
相変わらず見つけるのに苦労したんだけど(汗
まぁいろいろあってよくわからんかったけどとにかくFIXできたっぽい。
よかったよかった。
しかしこれによってインドでの俺の日程がほぼ確定した。
ほんとは日程決めて動くのは嫌だったんだけどしょうがない。

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夜も更けて・・・

チェンナイはインド第4の都市だけあってとにかく都会だった。
インドにきてからいい意味でも悪い意味でも一日一回は「すごいなぁ」って言っている。

ゴミだらけの道、徘徊している牛、犬、猫、カラス、ヤギ、真っ黒な排気ガス、砂埃、
10秒に一回は鳴るクラクション、笑い声、泣き声、バイク、リクシャー、バス、
タクシー、人力車、ハエ、蚊、喧嘩してるような話し声、うんこ、
むせ返る汗とマサラの匂い、半裸の子供、物乞い・・・


そして、人間・人間・人間!


人間だらけ。
意味もなく一日何十回も「ジャパニー?」と聞かれ、
声かけてくる客引きの大半がボッてきて、
普通に道を歩いていて麻薬を売られ、
あらゆるところでひたすらガン見されつづけ、
小さい子供が俺のズボンの裾を掴んで離さない。

「人間が生きる」という行為に対してとにかく「あからさま」。
日本よりも遥かに「生」が身近にあり、同時に「死」というものも身近に感じる。

おびただしい数のインド人に囲まれて考える。
「こいつらひとりひとりが本当に俺と同じように喜んだり悩んだり怒ったり悲しんだりしているのだろうか?」と。
そして「もしそうだとしたらこの世界はとんでもないことになっている」と。
俺の想像なんて遥かに凌いでどんどん広がっていく。
そして月並みだけど改めて実感したんだ。


「やっぱり世界は広い」


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ボーイ!
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僕にとって2008年2月6日は電車の中、ただそれだけです。
2008-02-06 Wed 23:20
旅立ちから34日目の見聞録。
現在放浪5ヶ国目。
「インド」の「列車内」に滞在しています。



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2等の座席争いの為の乗車風景。これに乗る勇気はボクにはありません。

23:35発 チェンナイ → コルカタ行き。
3段寝台 エアコンなし 650ルピー(確かね)。
所要最短時間28時間。
ん?

28時間!!???

丸一日以上・・・。
ガイドブックの地図でがんばって目測してみたら1200Km近くの移動距離があった(笑
間違いなく今までで一番の長時間移動。
まぁ寝台の乗り心地のよさは経験済みだからなんとかなるとは思うけど。
しかし長いな(汗

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今回は前回の反省を踏まえ一番上段のシートをリザーブ。

この3段寝台というやつですがその名の通りシートが3段ある。
がしかし下2段は時間になると片付けて通常のシート(座る用の普通のシートね)にしなければならない。
前回これを知らなかった俺は短い移動時間にも関わらずせっかくの寝台であんまり寝れなかった。
よって今回は予約時に「絶対一番上がいい!」と要求。
無事最上段のシートを確保したというわけだ。

ちなみに今回はエアコンなし(SL)だが試しにエアコンあり(3A)の値段を聞いたところ
ほんとに料金が倍近くだった。
ただ、その倍近い料金のおかげで空いていたり、外国人が多かったりで治安がいいといういい面もあるみたい。
区間自体の治安やその日の体調などで決めるのがいいと思います。
エアコンなしは上部にファン(扇風機)が3台くっついていてたけどこの時期だと夜間は逆に寒い。
天井は3段寝台はとても低い。ふつうに座ると頭が当たる低さ(俺の座高のせいじゃないよ)。
まさに搬送中の遺体になった気分だ(笑


列車は定刻通り出発。
俺のシートの反対側には韓国人のカップルがいた。後は全員インド人。
とにかく時間を潰す為には寝るのが一番!
半リアル遺体になりきって起きたらコルカタ!っていうワープを試みた。

・・・

・・・・・

・・・・・・

う~ん・・・おはよう。
もう寝れん。今何時?朝8時?
あ、早起きだぁ・・・って駄目じゃん。
普通にいい朝を迎えてしまった。
ってことは今日丸一日列車ライフを過ごさなきゃいけないってことね。
まぁ電車の中で歯を磨いたら思いのほかめちゃ気持ちよかったからいいや。

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走行中も開けっ放しのドア。朝は気持ちいい♪

俺は長時間の移動のとき一時的に日本の生活に逆戻りしてしまう。
本読んだり、ゲームやったり、なんか書いてたり、ボーっとしてたり・・・。
つまり海外に出て一番日本を感じる瞬間だったりするわけ(笑
だからあんまり嫌いじゃない・・・って駄目じゃんww
自分自身、こんなノリつっこみを何回したかや??

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寝台列車内部。通路。

列車の中は思ったより騒々しい。いや、想像どおりかw
とにかく元気にしゃべりまくるインド人、そして大声でやってくる物売りさんたち。
とりあえず選ばなければ車中の飲み食いは困らなそうだ。
昼食をとることにした。

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今日のランチ。

まぁ、味のほうはともかく腹は満たされた。
さてこの容器はどこへ・・・?
とりあえず持って歩くがゴミ箱らしきが見当たらない。
っていうかインドでゴミ箱ってほとんど見てない。
「どうしたらいい?」って居合わせたインド人のハンサムボーイに聞いた。
彼は走行中も開けっ放しのドアを指差し「こっから投げるんだよ」って笑いながら言った。

えぇ~。

日本人にはかなり抵抗ある行為。ちなみにお隣の韓国人も戸惑ってた。
よく見ると線路の脇はゴミだらけ。
そういえば街はどこもゴミだらけ。
いくらあからさまなお国柄でもこれはどうなのよ・・・。
しかしいつもでも馬鹿みたいに食べ終わった昼食の容器持ってるわけにもいかないんで
思い切って捨ててみた。
「ごめんなさい!」って掛け声とともに。
側にいたインド人は笑ってたけどほんと抵抗あるんですよ。

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時々停車する。今どこなのかさっぱりわからない。

あぁ~~~~~~~暇だぁ。
さすがに丸一日はやっぱり暇だ。暇だ。暇だぁ。
脳みそがクリームシチューになりそう。

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なにかわからないけど買った。インド版フレンチトーストみたいなのが出てきた。甘くはまったくないです。
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車内で靴磨きのお仕事している人。列車の中はほんとにいろんな人がいます。


近づいては離れていく景色を眺めながら、
人間は鳥にも劣る、か弱い生き物なんだなぁ~って思った。
地べたをはいずり回り、その自慢の脳みそでどんどん新しい知恵を絞らなきゃ生きていけない。
自分の力で飛べたらなぁ。
電車や飛行機の席の予約とか考えない、ほんとの気ままな旅ができるだろうなぁ。
大体、彼らとこの空の間にボーダーがあるんだろうか?
きっとこの空が「ある」か「ない」か。
つまり自分が「生きている」か「死んでいる」かのどちらかしかないんじゃないかなぁ・・・。


急に我に帰る。
鳥さん達からしてみたら「こっちはこっちでいろいろあるのよ。失礼しちゃうわ。」なんて
言われそうな妄想。
よく考えれば鳥だって縄張り争いとかあるからそんな自分勝手には生きれないか。
う~ん・・・世知辛いw

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晩御飯。味はイマイチ。腹は満たされるから幸せ。


列車の旅は続く。
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ねぇ、「優しさ」ってなんだと思う?。
2008-02-07 Thu 23:27
旅立ちから35日目の見聞録。
現在放浪5ヶ国目。
「インド」の「コルカタ(カルカッタ)」に滞在しています。



朝5時コルカタのハウラー駅に到着。
およそ29時間半かかった計算。
表にでるとまだ真っ暗だ。

そろそろインドも北の部類に入ってくる。
しかもここはインド第2の都市コルカタ。
真っ暗な街をひとり重い荷物もって歩くのは正直怖い。
ってことで明るくなるまで2時間程度駅で待ってみた。

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だいぶ明るくなってきた・・・。。

よし、そろそろいいだろうと思い一歩駅を出た瞬間、
わらわらわら~っとタクシーの客引きに囲まれる。
あぁ!うざい!って言っても日本語じゃ離れてくれません。
目的地は安宿街で有名なサダルストリート。
「歩き方」によればプリペイドタクシーを使えばここから65ルピーらしい。
しかしこいつらは・・・平気な顔してふっかけてくる。
「65ルピー以上は絶対に払わない!!」って言ってもしつこくついてきて
「そんな値段じゃ誰も行ってくれない」みたいな捨てゼリフ(しかも嘘)まで吐いていくやつまで・・・。
あぁ、殴りたい。駄目ですか?
タクシー自体が超うざくなってきてこうなったら一番最安でサダルまで行ってやる!
ってことになり駅からフェリーで対岸まで行くことにした。
おかげで片道4ルピー。
タクシーにボられてたら約40倍もの金額払わされてた(笑
フェリー降り場からサダルまでの道のりを歩いたのは結構しんどかったけどね。

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コルカタの超有名安宿街サダルストリート。

チェンナイで航空券をFIXしてしまいインドスケジュールが決まったことからコルカタには
一泊しかしない(残念だけど)と決めていた。
次の目的地バラナシで少し滞在したいとか、マザーハウスのボランティアをあきらめたからとか
他にも理由はいろいろあるけど仕方ない。
とりあえず宿を探す。
70年代から数々のバックパッカー達が泊まってきた超有名宿「パラゴン」に泊まってみることに。

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観光客丸出しの恥ずかしい写真。でも記念ですから。

シングルが空いてないと言われドミに決めた。
ベッドを案内されるが・・・なんと俺の両脇欧米人「女子」!
初のドミで女子と相部屋。
見渡すと一部屋に7つくらいベットがあったが女子率は高いみたい。
しかもなんかなまめかしい格好して・・・あぁ、今日寝れるかや?
宿自体は清潔って感じではなかったけど雰囲気はすごくいい。
日本人宿って聞いてたけど欧米人、韓国人もすごく多い。
別に長期滞在者が偉そうにしている様子もなく長居できそうな感じだ。
スタッフのインド人もいい感じだしなにより警備員がいる。

腹が減って仕方なかったので飯を食いにいく。
お得だという情報を知ってきたお店でインドに来て初めてナンらしいナンを食べた。
(インドでナンやタンドーリ料理は高級品らしい。ここは安かったけど。)

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プレーンナン8ルピーとベジカレー17ルピー。

う・うます・・・。
焼きたてのナンは香りといいほのかな甘みといいインドにきて久しぶりに心から美味しいってものに出会えた。
心と体の両方が満たされ明日のバラナシ行きの列車の予約をしにいく。

無事に予約もできたのでコルカタ市内観光しながら帰ってきた。

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ビクトリア記念堂。

マザーテレサで超有名なマザーハウスにも立ち寄った。
って言っても前を通っただけだけど。
マザーハウスの前で物乞いしていた半裸の子供を無視する欧米人ボランティアがなんだか皮肉に見えたなぁ。
そもそもボランティアってどういうことなんだろう?俺にはその意味がよくわからない。
こんな俺が軽い気持ちでやってきていい場所ではないということはわかっていたので今回は止めた。
実際俺みたいなやつでも一回やってみるとなんかわかるって言うけどね。
なんかそういう気分じゃなかったんだよ。

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想像していたより質素な建物だったのがよかった。

コルカタの街にうじゃうじゃいる物乞い。
俺は彼らに対してお金はあげない。
「冷たいね」って言われたこともあったけど絶対にあげない。
むしろ時には意識して冷たく突き放す。
だって俺がお金をあげたって彼らの未来はすこしも変わらないと思うから。
そんな簡単なことじゃない気がするから。
気休めの優しさなんて自己満足にしかならないと思うから。
そう、俺は彼らにたいしてなにひとつできやしない。ひたすら無力だ。


「なんでもできるじゃん」旅に慣れ始めて調子にノリ始めた自分にストップがかかったなぁ。


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コルカタの路上にて。
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あのワクワク感を味わう為に。
2008-02-08 Fri 23:26
旅立ちから36日目の見聞録。
現在放浪5ヶ国目。
「インド」の「コルカタ(カルカッタ)」に滞在しています。




宿からあんまり出ずにゆっくりしたかった。
移動日が続いて更に今日移動予定だったんで電車の時間まではなにもしたくない。
観光は昨日したし、表にでるのは水買いにいくのと飯食い行くくらい。
久しぶりにゆっくりした。

コルカタの写真をUPします。

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コルカタの縦列駐車。大体ぶつかってるんです。まじで。

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持ってんのもすごいけどどうやって乗せただ??

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??水道管?シャンプー使って普通に頭洗ってたおばちゃん。

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結局今日は朝昼晩同じ店で食った。昨日食ったおいしいナンの店の親父。

夜ネット屋でブログの更新しようとPCをいじっていたら急に動かなくなった。
あきらめて駅に向かおうと思ったけどすごい渋滞してて、更になかなかタクシーもつかまらない。
よかった、早めに出て。
ブログ更新ギリギリまでやってたら絶対電車乗れんかったわ(汗

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夜の渋滞ハウラー橋。よう事故らんよなぁ・・・。

プラットホームで電車を待っている。
i-PODに合わせて歌っていた歌が鼻歌から熱唱に変わっていく。
どうせ何をしていてもみんな俺を見てくるんでしょ?
だったら、なにやってても一緒でしょ?
だんだんと周りが気にならなくなってきた。

気持ちよく歌ってたら急に思い出した。
免許を取って初めて自分達の車で旅行に行った時のことを。
神戸までルミナリエを見に行くっていう短い旅だったんだけど、
俺は夜の高速道路のサービスエリアが大好きだったんだ。
事故渋滞に巻き込まれてまったく車は動かなかったけどなぜかワクワクしていたなぁ。
俺達これからどこへでも自由に行けるって思ってた。

出発の夜のバスストップが好きで、
出発の夜の空港が好き。
出発の夜のプラットホームも好きだ。

新しい街、新しい人、新しい刺激を受けて変わっていく新しい自分に会うために。
出発の夜は俺にとって特別な出来事。

インドで一番行きたかった場所。
タージマハルでもなく(まだ行ってないけど)、カニャークマリでもない。
それはヒンドゥー教最大の聖地バラナシ。
次の目的地だ。

出発のあのワクワク感がたまらなく大好きだから、移動するのが好きなのかもしれない。
「常識」で凝り固まったこの小さな脳みそをもっとシェイクしておくれ。

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コルカタ→バラナシ間はちょっと怖かった。
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ガンガーに抱かれて①。
2008-02-09 Sat 23:32
旅立ちから37日目の見聞録。
現在放浪5ヶ国目。
「インド」の「バラナシ」に滞在しています。



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初のサイクルリクシャー。ゴートウリヤー周辺。どお?このカオス感w

朝10時過ぎ。
電車からぞろぞろ人が降り始めた。
あれ?って思って隣にいたインド人に聞くとこの駅がバラナシ駅だと言う。
え!?まじで?とりあえず他3人くらいに聞いてもみんな同じこというから大慌てで
荷造りして駅を降りた。
危ない・・・乗り過ごすところだった。
日本に比べると今どこにいるか非常にわかりにくいんだよねぇ・・・。

なにはともあれバラナシ駅。
インドで一番来たかった場所に無事到着した。

とりあえずガンガー(ガンジス川)沿いに向かいたかったんで駅前のプリペイドリクシャー
(50ルピーだった)でゴートウリヤーという通りまで向かうことに。
話しかけてきたインド人が手配してくれるというからついてってリクシャー乗ったら
急にあるノートを読ませられた。
そこにはいろんな国の人の彼に対してのメッセージが書いてあって当然日本人のもあった。
彼はそれをなんどもなんども説明してきて自分は安全だと言う。
・・・ほんとにそうかもしんないけどだからなに?俺早くガンガー見たいんだけど。
いくら日本人でもそんな誰かもわからん人が書いた文章読むのしんどいんだけど。
「わかったからはやくリクシャー出してくれ」って言ってもなんか訳わからんこと言い出して、ガンガー沿いはチープな宿しかなく汚いとか言い出した。
なんだ、結局どっかのホテルに連れて行きたいだけか。
「もうどうでもいいからはやくガンガーへ連れていけ!」と半キレぎみで押し切ってやっと動き出した。
インドの客引きはとにかく自分のペースに持っていこうとする人が多い。
最初は俺も絶対優しく接してるんだけどそこはほらB型典型的自己中心型人間ですから。
自分がしたいって思うことを強引に曲げられるのが「大っ嫌い!!!」なんです。
だから腕とか引っ張られた時にゃ・・・


失礼。


なにはともあれゴードウリヤー通りというところまで連れていってもらった。
オートリクシャーはここまでしか入れないということなのでこっから初のサイクルリクシャー。
おっちゃんにがんばってモリ漕ぎしてもらい10ルピーでガンガー付近まで連れて行ってもらった。
そっから歩きで前もって調べてたゲストハウスへなんとかたどり着く。
ここはほんとに健全的で仲がよくて清潔なドミだった。
一泊70ルピー(「歩き方」より10ルピー値上げしてました)、約200円くらいのドミ。
ホットシャワー10ルピー。

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フレンズゲストハウス。とても居心地がいい。

荷物を置いて早速バラナシの街を散策。
予想通りこの街はおもしろい!!
とにかく目に映るものは・・・

うんこ・うんこ・うんこ!!(笑

道端は牛のうんこだらけ(笑
某有名ガイドブックに「サンダルOK」的なことが書いてあったけど絶対おすすめしません(笑
うんこまみれになります(笑
かなりの確立でみんな踏みますから、これw

そして牛、犬、猿、カラス、アヒル・・・いろんな動物が人間と一緒に生活している。
楽しい、なんか楽しいぞ、この街!!
すごいワクワクしてきた。
同じドミの子(地元が隣街w)とネットカフェ行ったあと、
「深夜特急」のDVDに出演して大沢たかおとからんでいたインド人がいる店を案内してもらった。
しまった・・・ちゃんと見てくればよかった。
「ムケ」の店(布とか服とか紅茶とか売ってる)にはその映画のせいか多くの日本人ツーリストが集まっていた。

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ムケと。ムケは日本語ぺらぺら。帰ったらDVD見ます。

夕方頃みんなでガンガーでボートに乗るらしかったので参加することに。
総勢7人でボートに乗ることになった。
初のガンガーはただ見とれることしかできなかった。
おおいに感動。言葉もでない。

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ガート側に沈む夕日。
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すぐ仲良くなった。ほんとに久しぶりの日本人。
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初漕ぎ!

ボート降りるとプージャー(礼拝)をやってた。
毎日ガンガーに祈りを捧げる儀式をやっているらしく、感動した。

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せっかく人もたくさん集まったことだしみんなで飯でも食いにいこう。
しかもせっかくだしちょっと豪華にうまいもの食いにいこうってことになってムケに教えてもらった店でインド初のタンドーリチキンをシェア飯することに。
初めて食った本場のタンドーリチキン・・・う・ウマス・・・。

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丸々一羽分で一皿。すごい迫力です。


旅も二ヶ月目に入りひとりでいろんなことを楽しむことができるようになってきた。
しかし久しぶりに仲間と食べた飯は格別だった。
やっぱりご飯は大勢で食べたほうが美味しい。

大勢の仲間と毎日一緒に食べてた学校給食が一番のご馳走だった。
家族全員で食べてた夕食が一番のご馳走だった。
気の合う友達同士が集まった飲み会が一番のご馳走だった。
何を食べるか?より誰と食べるかのほうが大切なのかもしれないね。

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大変おいしゅうございました!全員一人旅です。



美味しい食事優先条件ランキング(2008年2月9日現在)
①誰と食べるか? →②何を食べるか? →③どこで食べるか? →④いつ食べるか?
大切なのは食事を通して得る心と心のふれあい・・・なんちゃって。 
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ガンガーに抱かれて②。
2008-02-10 Sun 23:40

旅立ちから38日目の見聞録。
現在放浪5ヶ国目。
「インド」の「バラナシ」に滞在しています。



朝6時半起床。
しまったもう明るい。朝日あがってんじゃん(泣
まぁ焦らずボートでも乗りに行こうかな。

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寝起きのチャーイはまじでうまい。

昨日のメンバーに更に増えて・・・何人乗ってんのかわからん人数でボートに乗った。
朝のガンガーは素晴らしい光景をたくさん与えてくれる・・・
今日はこの旅始まって一番シャッターを切った日だった。

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バラナシにきてからネタが多すぎて写真が溜まりまくってる。
楽しくて仕方ない。
宿から一歩外にでれば刺激だらけ。
インドにきて初めて「長く滞在したい」と思える街。

道の真ん中でボトボトうんこしている牛。
その脇の地べたで野菜や果物を売っている人たち。
固まってお座りしている犬。
チャーイを飲みながら楽しそうな若者。
ツーリストが落とした鏡をずうっと眺めてた猿。
卑猥な日本語で話しかけてくる客引き。
ひとたび小道に迷い込めば迷路のような旧市街。
超狭い道の両脇はびっしり露店。
2人以上並んで歩けないような道を走るバイクと自転車。
迷って迷って迷子になっても歩き続けていると必ずガンガーか大通りにたどり着く。

この大いなる川の傍で今日も彼らは思いっきり生きている。
そして俺も今ここで確かに生きている。
はっきりと実感することができる空気。
やばい、楽しくて仕方がない。

そして驚くことに正直嫌いでしょうがなかった類のインド人さえとても好きになってきた。
客引きのむかつく対応も逆にかわいいと思えるくらいに。
めちゃ見てくるけど見られることには慣れてないらしく見つめ返すと照れるし・・・。
あぁ、そんなにカリカリしなくてもいいんじゃないの、俺。
そう、心に余裕を・・・


ボート漕ぎのオッちゃん:「楽しいか?」
       俺:「めちゃ楽しい!」
ボート漕ぎのオッちゃん:「じゃあ25ルピー!」(1時間20ルピーで乗っています)
           俺:「・・・。なんでだよ!!一時間20だろ!!ふざけんな!!(怒)」


・・・まだまだ(×100)大人にはなれないみたい。
しかし楽しいと5ルピー値上がる意味がわからん(笑

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DOU?
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MOU?
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インドで両さん発見(笑)ま、眉毛が。。。
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牛丼つゆ抜き大盛り。

そーいえばバラナシにきてからあんまりカレー(インド料理)を食べてない。
ここには美味しい日本食(ちょっと割高ですが)が食べれる店や
多国籍にいろいろな料理が食える店があって食い物のバリエーションに困らないから。
お昼に大好評のメグ・カフェで食べたしょうが焼き丼・・・正直涙がでるくらいうまかったです。
メグさん、大好きです♪覚えててくれてありがとう。
夜はコンチネンタル料理(なんのことかさっぱりわからないけど)なるもので
「シーズリー」という料理を食べた。
これがまた・・・バリうまっ!
ベジタブルシーズリーはおからとかで作ったハンバーグに炒めた野菜とお米が鉄板上で
素晴らしいハーモニーを奏でてたw

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シーズリー。鉄板ジュージューよ♪

食べ物がうまいと心が癒される。
心が癒されるともっといたいと思う。
バラナシが有名な沈没街の理由がよくわかった。


少し予定を延ばして滞在しようかなぁ・・・。
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ガンガーに抱かれて③。
2008-02-11 Mon 23:50
旅立ちから39日目の見聞録。
現在放浪5ヶ国目。
「インド」の「バラナシ」に滞在しています。



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明け方のガート。

今日は早起きできた。
まだ日はでていない。
しかも見た感じ晴れててはっきりサンライズが見れそう。
ってことで同じドミの子達+1人で今日は5人でボートに乗った。
しばらくガンガーの対岸をボーっと見てると・・・

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おっ!!
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おおおっ!!
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で、でたぁ~!!

とうとう念願の日の出を拝むことができた。
カニャークマリで全敗したリベンジがここバラナシでできて大満足。
ガンガー沿いは一方はガートがところ狭しと並んでるけど対岸はびっくりするほどなんにもない。
ヒンドゥー教の考えで対岸は不浄の地とされている為誰も人が住まないらしい。
朝日はそこから昇るからすごく綺麗に見えるってわけ。

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ボートは行く。朝日をバックに。
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壮大。

ボートに乗ってガンガーを眺めていると時々ドキッとするような光景を目の当たりにする。
犬の死体や牛の死体が流れてたり、それをカラスが食べてたり、
魚(かな?)が突然パシャと水面を揺らしてビクってしたりw
そのなかでもマニカルニカー・ガートはほんとに考えさせられる場所だった。
ここは有名な火葬場。
毎日何体もの遺体が目の前で焼かれている場所。
その為なのか煙があがっているときは写真は絶対NGとのこと。
たくさんの薪が常に積み上げられていて男性は白、女性はオレンジ色の布でくるんだ
遺体をその場で焼き、その灰をガンガーに流す。
ヒンドゥー教ではガンガーで沐浴して身を清め、死んでガンガーに流されれることを最大の幸せと考えている。
ガンガーに流されると生前どんな大罪を犯していても解脱できると信じられている。
マニカルニカー・ガートにはその為にインド中から「ただ死を待つだけの人」が集まっていた。
子供や出家者は焼かずに石(おもり)を付けてガンガーに沈めるらしい。
人々はその川で身を清め、歯磨きし、洗濯する。
インド人にとって「聖なる川」になんの疑いもないからこそできる、ここだけの風景。
月並みだけど「生」と「死」を身近に感じることができる場所のひとつだと思う。

俺も俺の大事な人もみんな死んだら一緒だな。
灰になっちゃえば性別も性格も身分もお金もなにもない。
「生きる」ことは不平等だけど「死ぬ」ことはすべての人に平等だ。
人は死に、体は朽ち果て自然に帰る。
「どういう風に生きるべきか」。
俺の答えは「死ぬこと」を意識することから始まるのかもしれない。
思えばこの旅に出るきっかけも「明日死ぬならなにがしたい?」からだった。
当たり前のことなのにずっと逃げてた事柄だった。
そろそろ本気で考えなきゃいけないお年頃なのかもしれないなぁ・・・。


「どうやって死にたい?」と「どうやって生きたい?」は同意語だと思う。


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沐浴する。日常風景。

宿に帰ってきてなんだかちょっと眠たくなってきたから昼寝でもしよう・・・
気付いたらそのまま6時間ぐらい眠ってた(笑
あっちゃぁ~やっちゃった(汗
とりあえず飯でも食いにいこうかとメグカフェへ。

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小道はこんな感じ。ごちゃごちゃしてて楽しい。

今日は塩ラーメン食べました(笑
ほんっとにメグさんとメグさんの料理には癒される・・・。

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塩ラーメン。う・うます。。。
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メグさんとツーショット。ほんとにありがとうございます♪

バラナシきてから毎日濃すぎて日記手抜きになってます。はい。
書きたいこととか使いたい写真がありすぎて結局なんにもできてない。
英語と同じくらい自分の文章力の弱さに嫌気が・・・。


バラナシにもっといたい・・・。
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ガンガーに抱かれて④。
2008-02-12 Tue 23:46
旅立ちから40日目の見聞録。
現在放浪5ヶ国目。
「インド」の「バラナシ」に滞在しています。



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しゃん亭の肉じゃが風プレート。久っさしぶりの豚肉♪

今日は意図的に寝過ごした。
というより昨日昼寝しすぎて夜眠れなかったんだわ。
「朝日綺麗だった~」のみんなの声で目が覚めた。

それにしても毎日ゆっくりとした時間が過ぎていく。
ここでは何かひとつ動作を起こそうとすると日本の数倍の時間がかかる。
故になにをやるのかをしっかり考え、ひとつひとつのプロセスを楽しむようにしてる。
ご飯食うのにも、チャイを飲むのにも、買い物するのにも、シャワー浴びるのにも・・・
やっと俺もインド時間ってやつに慣れてきたのか苦じゃなくなってきた。


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インド初のビルヤーニ。インド風の炊き込みご飯ね。

そして、ここ何日間「もっとバラナシにいたい」って本気で思ってた。
本来脅威の移動予定を組んでいて、バラナシを1・2日くらいで出て、
ジャイプル(ピンクシティ)・ジョードプル(ブルーシティ)まで気合でいくつもりだった。
しかしその2つを諦めてバラナシに滞在することにした。
それくらいこの街は素晴らしい。
しかし日程的にもう無理っぽい。
さすがにアーグラーははずせない。
航空券のDAY-FIXをキャンセルしてもいいんだけど、
きっといればいるほど踏み出せなくなりそうで怖いし。。。

ってことで泣く泣く今日は明日発バラナシ → アーグラー行きのチケットをゲットした。
と言ってもムケにお願いしただけだけど。

チケットさえゲットしちゃえば行くしかない。
残念だけど今日がバラナシ最後の夜。
今日こそ夜のガンガーをひとり静かに眺め・・・・・

ぉお????


bara-44
あれ??今2月だよね?この方々は・・・?

染粉に染まった人達発見っ!!
しかしホーリーには絶対的に早すぎる!
(ホーリーはインド最大のお祭り。毎年3月のどっかの週でやるらしい。インドが一年間で最も熱くなる日。人々は何でもあり状態で染粉をぶつけ合い死傷者や犯罪者が多数でる観光客にとって非常に危険な祭り。外国人は思いっきり狙われるらしい。でも見たかった・・・)
そーいえば街がめちゃにぎやかだ。
一晩中なんかしらの楽器が鳴っているのはいつものことだったが今日はなんか違うぞ。
軽トラックの荷台に積みまくったスピーカーからノリノリのインドダンスミュージックが
爆音でかかり、インド人達がそれに合わせて道端で踊り狂っている!!
警備の人達もたくさんでていたが基本的になんでもあり状態な雰囲気がでててちょっと怖いな・・・。
見てる分には非常に楽しいんだけどね。
同じドミの子は近づいてきたやつに顔に染粉塗られて怒ってたw
ただでさえ普段からジャパーニーは目立ってるんだから祭りのときはやばいでしょ?!

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これがほんとのストリートダンス!ノリノリだぜぇ!

よく見るとみんないくつかの団体に別れていてそれぞれ神輿じゃないけど神様的なモニュメントを運んでいるように見える。
この方向は・・・やっぱガンガー?
その辺の人に聞いてみるとどうも今日は「学問の神様を祭る日」(たぶんね)だったらしい。
試しについて行ってみた。

bara-46
いろいろなデザインがあるみたい。
bara-45
目指すはガンガー。どこから歩いてるんだろう?

ガートはたくさんの人が集まって大騒ぎ状態。
ガンガーまでたどり着いた人達はボートにそのモニュメントを乗せる。
なにやら儀式的なことをやった後・・・

どぼんっ

やっぱガンガーに沈めるのね・・・。
ちょっと予想してましたw

よしっ。祭りの夜でもガンガーはガンガー。
ひとり静かに眺めよう・・・


ドンッ!!!


「うわっ」

ダイナマイトみたいな花火がすぐ近くで炸裂した。。。
その後各々花火に火がつく。

bara-49
綺麗なんだんけどね。あんまビビらせんで(汗


ふう・・・やれやれ。
ではガンガーを・・・


「ヘ~イ!!ジャーパーニー!!」

bara-47
「俺を撮ってくれ!」「あ、はい・・・」

あぁ・・・やれやれ。
今度こそガンガーを・・・


「ヘェ~エイ!!ジャパーニィー!!」

bara-50
「俺達を撮ってくれ!」「あ、はぁ・・・。」



「フェ~エェイ!!ジャパァニィ~!!」


もうええわ!!
一緒に撮るぞ!!

bara-48
はい、チーズ!半分やけくそ状態。


バラナシ最後の夜。
静かにガンガーを眺めることはできなかったが、最後にいいものが見れた。
インドの人達の祭りはとってもハジけてて楽しそう(ちょっと怖いが)。
急に日本の祭りにも行ってみたくなった。
根っからのお祭り大好き人間だということを改めて認識した夜だったなぁ。


bara-51
真っ暗なガンガー。ボートに乗せた神様に祈る。
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ガンガーに抱かれて⑤。
2008-02-13 Wed 23:53
旅立ちから41日目の見聞録。
現在放浪5ヶ国目。
「インド」の「バラナシ」に滞在しています。



bara-52
バラナシ最後の朝日。

ガンガーから上る最後の朝日は今まで見た中で一番綺麗だった。
一番大地から上る姿がくっきり見えた。
感涙(泣

そういえばこのブログで書き忘れてたかもしれないけどバラナシついてからとにかく寒い!
朝晩の冷え込みはかなりのもので昨日また買ってしまった布が重宝している。
初めてインドに入ったときも寒かった・・・。
実際あれは寒波だったみたいだけど北インドはこの時期大体寒いらしい。
日本で抱いていたインドは「暑い」か「めちゃ暑い」か「めちゃくちゃ暑い」かしか季節ないと思ってたのに(笑
これから行かれる方、この時期は夜寝袋的なもんがないと電車とかはかなりキツイですよ。

bara-53
早朝のマニカルニカー・ガートの前で。まだ煙は上がってません。

あぁ・・・ほんとに綺麗だ。
この光景を目に焼き付けて絶対に忘れないでおこう・・・
そうこの光景を・・・

んっ???

bara-55


んんんんんっ???

bara-54


テ、テレビ見てるぅ~!!!!!!!?
ちゃんと電源まではいってるぅ~(爆笑
なぜ?なぜそーまでしてそこの場で見たいのさ(爆笑
なんかの商売かや?
インド人って・・・俺の常識を超越しまくってる(笑

やはり現地に来てみるもんだね。
いろんなことでイメージや考え方を覆されたわ。
写真や文章だけじゃこの空気までは感じることはできなかったもん。

bara-56
ガンガーから見るガート。見納め。

電車の時間までひとりガート沿いを歩く。
マニカルニカー・ガートで足を止め火葬の現場に触れてみる。
建物に入り階段を上る。火葬場が上から一望できる。
何体も何体も布にくるまれた人が集まってくる。
彼(彼女)らは一度ガンガーに浸されて戻ってくる。

体が火に触れる時間はおよそ3時間。

必要な薪はおよそ300Kg。
分かり易い英語で勝手にガイドを始めた自称「ホスピル(ってなんだ?)のスタッフ」。
話自体はおもしろかったけど頼んでない。
無視してたけどおもしろいから聞くだけ聞いたら「払わない」っていってあげよう。

人の体の5つのエレメント
1.Air
2.Water
3.Fire
4.Sky
5.Wind

突然後ろにいたばぁちゃんのところへつれていかれる。
彼女に名前を教えろという。
自分の名前を言うと彼女は俺のことをなにやら祈ってくれているようだった。
すると(いつの間にか)3人の自称ホスピルに囲まれてた。
なんでも「彼女はここで死ぬのを待っていて自分の体を焼く為の薪を買う金を集めている」と言う。
そのお金は結構かかるらしくて寄付してくれないか。と持ちかけてきた。
なるほど、そうきたか。
しかしこういうのは気持ちだからね。
基本的に物乞いなんかには俺絶対お金あげないけどさっき祈ってもらったから、手持ちの小銭を・・・
「ノー!!最低でも200ルピーだ!」
ばあちゃんに金を渡そうとすると阻止された。
「はぁ?お前らじゃねぇだろ?俺はばあちゃんにあげたいんだ!」
「ノー!!200ルピー!」
むっかついたから振り切ってばあちゃんにあげたらそれを取り上げて俺につき返し、
「でていけ!もうくるな!!」的な言葉を浴びせられ追い出された。
まじでむかつく・・・。
あとから情報ノートで知ったんだけどこいつら確実に詐欺です(まぁ、わかるか)。
おそらく200ルピー払ってもほとんどこいつらのポケットに入るみたい。
皆さん絶対に払わないでください。というよりこの強制ガイド、ハナからしっかり断ってください。
しつこいですが結局嫌な思いすることになるんで・・・。

もっと嫌なのはあのばあちゃんさえ疑うことになってしまうこと。
本当に死を待つだけの人なんだろうか?
この2人の詐欺野郎とグルなんじゃないんだろうか?
もし本当に死を待つだけの人だったらこの2人の詐欺野郎のやっていることにはほんとうに腹がたつ。
場所を考えろ。お前らみたいな下衆野郎のせいで全インド国民の品位を疑われるぞ。
治まらない怒りがこみ上げてきた・・・・・・けど


まぁいいや(最近気持ちのシフトがはやいw)。


下におりて目と鼻の先で火葬場を見ることにした。
火葬場といっても土の地面に薪が組んであってガンガーに浸した遺体をそれに乗せて焼く。
ようするに丸見えですよ。
それがいくつか並んでいるっていう簡素な火葬場。
家族らしき人たちが遺体の周りを何周かし、火がつけられる。
俺は人が焼けるニオイというのを初めて体感した。
そしてそれはなんともいえないものだった。

立ち上がる炎、煙、灰、ゆがむ空気、見送る人々、次から次に運ばれてくる遺体。。。

もし「生きていた」かどうかを証明しろと言われたら、
それは「死んだ」時初めてできるんじゃないんだろうか。
命が死に、初めて今まで「生きていた」と証明できるのであれば、
俺はまだ少しも「生きて」はいない。
「これからどうやって生きていくか」から「これからどうやって死んでいくか」に
気持ちをシフトし始めてから今まで抱いていた迷いが減ってきている気がする。
答えはまだまだ出ないと思う。
この思いが正しいかどうかもわからない。
だけど「どうやって死ぬか」、「どう思って死ねるか」でこれからの自分を考えていこう。
なぜか、火葬場が前向きにさせてくれる場所になった。
よく見ると周りのインド人も誰一人泣いてない(たまたまか?)。
死は新たなる始まりで、更に彼らにとってここで焼かれることは最大の喜びだからだろうか。


火葬場を離れフラフラと路地に迷い込む。
完全に迷子になってなぜか笑えてきた。
本気で迷子になったのっていつぶりなんだ?
ふいに聞こえてきたシタールの音色。
立ち止まって聞いていると弾いていたおじさんが入ってこいという。
どうもここは音楽教室らしい。
入り口の隅っこで俺一人、おじさん一人。他に誰もいない。
ガンガーが反対側の入り口から見える。
俺はただ黙っておじさんのシタールを聞いていた。
マニカルニカー・ガートでの光景と想いがいろんなことをフラッシュバックしてくれる。
やっぱり涙が止まらない。
おじさんはなにも言わずにただ黙ってシタールを弾き続けてくれた。
俺はもう隠すことも止めた。
隠す必要がないことがわかった。
泣きたければ泣けばいい。
涙が出ることがこんなにも幸せだとは思わなかった。
すごく前向きな涙。
でもなにに対しての涙なのかはさっぱりわからない。


インドに来てよかった。バラナシに来れて本当によかった。
いつか、また道に迷ったらもう一度ガンガーに会いに来よう。
絶対に忘れない。



bara-57
幸せですか?

どーでもいいけどおいらインド来て何回泣いてんだ?
やっぱ年かや?涙もろくなってきてる気がする(笑


次はタージマハルで有名なアーグラーへ行こう。
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病的なシンメトリー「タージ・マハール」。
2008-02-14 Thu 23:14
旅立ちから42日目の見聞録。
現在放浪5ヶ国目。
「インド」の「アーグラー」に滞在しています。



頼んでた寝台列車・・・一番上のシート駄目だったみたいで初の2段目だった。。。
ちょっと不安だったけど疲れてたから朝まで一気に寝てしまい、
バラナシ → アーグラー間は見事にワープを果たした。

しかし寝袋にがっつりくるまっても震えるくらい寒い。
電車の中で息が白くなる。。。

相変わらず今どこにいるのかさっぱりわからないので近場にいた韓国人に聞いてみる。
すると次の駅がアーグラーだというので一緒におりた。
ガイドブックによるとここからタージマハールまではちょっと距離があるなぁ・・・。
またリクシャー代かかるな・・・。
プラットホーム降りた瞬間から何人かがフレンドリーに話しかけてきながら付いてくる。
はぁ。
もうこのパターンも飽きたなぁ。
どうせ駅出たらリクシャーだと言い出すんでしょ?
おそらくこの距離だと150ルピーとか言い出しそうだなあ・・・。
なんとか100ぐらいまで値切らなきゃ(めんどくさい)。

案の定親切に見せかけてリクシャーワーラー(運転手)ばっかだった。
はぁ、めんど。
「は~い、じゃあタージマハールまで一番安くつれてってくれる人~!」
かなりやっつけ仕事。
しかし最初のやつが「50ルピー」と言い出した。
え?まじで?安っ。大丈夫かや???
何度確認しても50だと言い張るからそいつにした。

乗って初めてその値段の意味がわかった。

1分程走ると目の前に赤くてドでかい建物が・・・
あれ?これアーグラー城じゃねぇ~の???
聞くと確かにアーグラー城らしい。
俺が降りたと思ってた駅じゃないぞ、ここ。
ガイドブックで見た降りるはずの駅の一歩手前のタージマハール寄りの駅で降りてたらしい。
あぁ、駅間違えて近いほうについたんだ。
じゃあ50ルピーって別にそんな安くもないんだ(笑
ははは、まぁいいや。近いんだし。
そんなこんなであっと言う間にホテルについた。
が、しかし。バラナシでもあったけどまた「日本語で書かれたノート」攻撃を受ける。
相変わらずそういうノートで俺に「自分は安全だ」と証明したがる。
まぁ行きたいホテルに連れてってもらったから別にいいけど(グダグダ言い出したがめんどくさいからずっとNo!とホテル名しか言ってなかった)。
シングルは満室だというのでチェックアウト時間までロビーで待つことにした。
するとさっきのリクシャーワーラーがしつこくついてきて俺の前に座り
アーグラーの観光をリクシャーでしないか?と言ってくる。
結構しつこかったが当たりは優しかったので俺も怒ることなくちゃんと意思を伝え
帰っていただいた。
これくらいなら憎めないし、場合によっては観光お願いしてもいいかな?って思える。
今日はたまたまそんな気になれなかっただけだったんだよ、おっちゃん。


agu-1
途中でガソリンスタンドへ寄った。インド、ガソリン高!日本と変わらん。リッター130円くらい。

宿はシャンティーロッジと言うゲストハウス(ホテル?)に決めていた。
一泊250ルピーとバラナシやコルカタでは考えられない金額だがここは観光地。
多少高いのはしょうがないとあきらめてた。
それにここのホテルは屋上のレストランからタージマハールが見えるというので
早速朝食がてらタージを拝みに行こう~!


agu-2
チャーイを飲みながら見るタージはまた格別。


出たっ!!


視界の先に映し出された白い物体。
タージマハールだっ!
とりあえずチャーイをオーダーしてゆっくり鑑賞。
バックからi-PODを取り出して日本でダウンロードしてきたセーラームーンの主題歌をムービーで見る。
なんで?って感じだろうけど実はタージについたら絶対やろうと決めてた出来事(笑
別に特別深い意味はないんだけどオープニングの画面にタージっぽい建物があったからかなw

どうでもいいけど今日ほど日本を出国してよかったと思った日はなかった。
だって皆さんあれでしょ?あのものすごく腹立たしいカップル達の胸トキメク日でしょ?
今日って・・・。どーせ海外にいようと日本にいようとおいらには関係ないけどね!
独りタージを眺め「うん、これでいい」と自分を慰めた僕でした。

・・・。

一度部屋に帰ってシャワーを浴びようと思った。
ぶっちゃけ3日浴びてない(汚い)。
しかぁし!インドらしく停電中。ホットシャワーがでない。
せっかく高い金払っているのに・・・。
それでもどうしても浴びたくて気合の水シャワーじゃ~、今までなんとかなってきた!
と飛び込んだがちょっと冗談のレベルを超えていた。
普通に無理です。
真冬に水シャワー的な行為をしてしまったおかげでこの後若干体調悪くなってきた・・・。
しかしタージだけは絶対見に行かなければ。

せっかくなので今日はちょっと日本にいるときとあまり変わらない格好で表に出てみた。
久しぶりにWAX使ったわ(笑
しかしこれが大失敗。
インドでこんな格好してたらまぁ~声かけられるかけられる・・・。
なんでいきなり「ジャパーニー!カモン!」なんだよ!!
強引すぎねぇか??
あとよくある「ヘイ、フレンド!」。
これもあまり好きじゃない。
今日は「ノーフレンド」とお答えさせていただきました。
そこまで簡単にフレンドになれるほど僕は人付き合いうまくありませんので、あしからず。
あぁ・・・やばい、早くタージへ。

驚くほどタージの入り口は近かった。
入り口で入場料を払う。
750ルピー・・・。
た・高いよ~。
この値段は知ってたんだけど改めてめちゃ高いと思う。
完全に外国人向け観光料金。
はぁ・・・。
財布の中からみるみる100ルピーちゃん達が消えていく。
しかしここまできたら行くしかないっしょ?!
ここで入場料が高いから辞めた、なんて言ってたらなんの為に旅してるのか訳わからん(笑

セキュリティーがかなり厳しく荷物はカメラと財布、水くらいしか持ち込めない。
事前に確認してあったんでカメラと財布しか持って行かなかった。
久しぶりの手ぶら。
やっぱり手ぶらはいい。
日本ではできるだけ手ぶらだった。
こんなにも身軽になるんだぁ・・・。改めて実感。


agu-3
正門前。たまたま独り旅している日本人の女性の方に撮ってもらった。

入り口を入ってすぐ見えてくるのがタージマハールの正門。
これはこれですごい。
ようこんなもん当時の技術で作ったわ。
工事車やマシーンなんてほとんどなかっただろうに・・・。

すげぇ。


agu-4
正門どアップ。

正門を抜けると急に世界が開ける。
インドで一番と言っても過言でもないくらい綺麗な空間。
ゴミがまったく落ちていない。
そして眼前にどっしり構える白い物体。
タージマハールだ。

とうとうタージマハールまできてしまった。

agu-5
タージマハール。ガイドブックじゃなくて自分で撮った写真だぞぉ。

近づいていけばいくほどその巨大さに驚く。
遠くから見える人間がまるでレミングスに見える(←懐かしい!)。
タージは靴を脱いで入るので入り口で靴を預けひんやりとした大理石の上に乗る。
見上げると視界に入りきらないほどでかい建築物。
これがフル大理石だというのは本当に驚きだ。

当時タージマハールを作ったことによって国は傾いたらしい。
それくらい天文学的な費用がかかったらしい。
そして周りをぐるっと回ってみるとわかるが、気持ち悪いくらいどこから見ても左右対称。
周りの景色がなかったらどこから入ったかわからなくなりそうなくらい。
完璧で若干病的なシンメトリーだ。
確実に病んでるね。俺にはわかる(笑
しかも中に入るとここまで壮大な建築物の中央に棺が2つ。
ポツポツっと置いてあるだけ・・・。
ご存知の方も多いと思うけどタージマハールはなんと独りの人間の為に作った
「お墓」なんですよ。
シャー・ジャハーンという王様が愛する妃の為に作った墓。
しかも彼はこの後タージマハールの脇に流れるヤムナー河の対岸にフル黒大理石でできた自分の墓を建造しようと夢見てたらしい。
キチガイだな。。。
二つの墓を橋で渡して妻と二人で永遠の眠りにつこうとしてたが権力争いから
自分の息子に幽閉され夢叶わずその人生を終えることになったらしい。
なんてかわいそうな・・・まぁしゃあないか。やりすぎでしょ(笑

age-6
人の大きさとの対比からその壮大さがわかる。
age-8
お日様の光をいっぱい浴びてきました。

しかしここまでの建物に棺が二個。
ここまで徹底して潔いとやっぱり違うわ。
世界一美しい建築物の名は伊達じゃない。

age-7
タージマハールのすぐ北に流れるヤムナー河。この対岸に幻の黒タージが・・・。
age-9
左右にはこれまた立派なモスクが。西側。
age-10
タージマハールから見た正門側。素晴らしい。
age-11
記念撮影。とうとう来ちゃいましたよ!

十分にタージマハールを堪能しお腹が減ったので昼食タイム。
ってことでその辺にあったレストランへ入る。
二階席から街が見れるのでそこからパシャパシャカメラ小僧してた。

age-12
This is オートリクシャー。
age-14
This is サイクルリクシャー。
age-13
This is ホースリクシャー。うそです、馬車ですね。

宿に一旦帰りアーグラー城の見学に歩いていこうか迷った。
ちょっと体調悪い。明け方の寒さとさっきの水シャワーのせいでなんだか体がだるい。
う~ん、ちょっと横になろう。。。


・・・

・・・・

・・・・・・

はい、このパターン。
外は真っ暗。
夜8時。
まぁ駄目だ。
屋上のレストランへ晩飯を食いにいく。
実は夜のタージを見たくてこのホテルにしたんだ・・・ってタージ真っ暗で影だけやん!!
勝手にライトアップされていると思ってた(泣
がっかりのおいらはベジタブルビルヤーニを食べもう一度眠りについたとさ。



アーグラーの夜があっという間に更ける・・・。
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さよならインドさん!そしてしばらくそっとして。
2008-02-15 Fri 23:30
旅立ちから43日目の見聞録。
現在放浪5ヶ国目。
「インド」の「デリー」に滞在しています。



あぁあぁぁああ~今日でインド最後だぁ・・・
だのに、だのに俺ってやつは・・・なんでまた体調不良なんだよぉ(泣)。
たぶんまた風邪。
何回風邪ひくねん?!って感じだけど南インドから北インドの気温の移り代わりが激しいのと、
昨日の水シャワーのせいだって、絶対!
鼻水が朝から止まらず、頭がボーっとしてなんにもしたくない。

しかし飛行機のチケットはFIXしちゃったんで今日はデリーに向かわねば。

毎回思うが荷造りは前の日の晩にちゃんとしましょうよ、俺。
朝から軽く1時間半程かかってへこんだ・・・。
急いで飯くって(ベジ・ビルヤーニ)チェックアウト。
声かけてきたおっさんのオートリクシャーで駅に向かうも当日の予約席は夕方6時までないと言う。
今昼前・・・ちょっときついなぁ・・・。
また別のおっちゃんが声かけてきてローカルバスなら何本も出ていると言われる。
が、正直インドでバスにあんまり乗りたくない。
前回の虫被害でちょっと恐怖症気味。しかもローカル・・・。

なんてこと言ってる場合じゃないんで割り切ってローカルバスIN。
アーグラー → デリー間なんと120ルピー。安いわぁ~。
4時間って言われて6時間かかったけどね。。。

ロイヤル・ヨルダン空港のオフィスで無事リコンファーム(予約確認みたいなもの)も終え、
インディラー・ガンディー空港への足もなんとかなりそうになったので
重い荷物を背負ってデリーのコンノートプレースというところを散策した。

しかしこれが非常にまずかった。
体調がかなり悪化してきて歩くのがかなりしんどくなってきた・・・。
とにかくどっかで休憩しなきゃ。
結局インド最後の食事がなぜかマックになってしまった。

偶然にもインド最初の食事もムンバイのマックだったw
マックに始まりマックに終わる、俺のインド食生活だった。

周りが暗くなってきて焦りだした。
どんだけ探しても日本語使えるネットカフェが見つからんのだ(探し方が悪いのか?)。
実は無精者の俺は次の目的地の情報をちゃんと調べてなくガイドブックももっていない。
さすがに最初に泊まるホテルの住所くらいは控えておかないと非常にまずいでしょ?!
ってことで探しまくるも全然見つからない。
デリーにきてから声かけてくるやつ100%無視してたんだけどうっとおしいくらい
「どこいくの?」って聞かれるから(ナンパされまくる女性の気持ちがわかるw)
「インターネット!!」って答えたら「カモン」と言われた。
ここインドで一番悪名高いデリーだよなぁ・・・大丈夫かな・・・。
しかも連れて行かれたところ。

旅行会社。

うわぁ・・・一番危険な匂いが・・・。
しかしどうしてもネットを使いたかったんで入ってお願いしてみる。
とてもフレンドリーに「使っていいよ。お金はいらないよ。」と言われ俺も有頂天でお礼を言う。
とにかくフレンドリーに話しかけてきて、日本はグッドだ、インドはどこがよかっただのいろいろ聞かれた。
結局日本語は使えなかったんで最後の切り札、俺のラップトップをつなげさせてもらった。
途中でそこの子供(かな?)がチャーイを持ってきてくれたが調べ物に真剣になっていてすっかり忘れていた。

しかし・・・

しばらくしてさっきのフレンドリーな男がにやにやしながら話しかけてくる。

「ハロー、フレンド。この時間なら500ルピーだ。」
「は?」(ちなみに40分弱です)

通常ネットカフェは北インドなら一時間15から高くても40ルピーだ。

「さっきお金いらないって言ったじゃん?」
「インドに無料はないよ。」

でた・・・。

「俺今日インド出るからほんとに金もってない。払う気もない!」
(ちなみにほんとに200ルピー程度しか持ってなかった)
「ノー!じゃあ200だ!もしくはお前のサングラスだ!」

もう訳わからん。はっきりいえることは本気でむかついたってこと。
今思えば若干笑えるが(笑)
ずっとニヤニヤしながら話してくる。完全に馬鹿にしてるなぁ・・・。
話にならんからそそくさと片付け始める俺。

「ハロー、フレンド?ハロー、フレンド?どこいくの?」

呪文みたいに耳元で繰り返し囁いてきやがる。完全無視。

「使わせてもらったで金は払う。でもネットカフェの相場なんて大体20前後だぞ」
「はぁ?なにいってんの?200だ!」

俺は財布の中の小銭(小額紙幣)すべてをその場でばら撒いて叫んだ。

「拾えこの○×野郎!!」

そして最後にあの超有名スラングを大声で吐いてその場を離れた。
結局60ルピーくらい捨てちゃったけど完全に切れてしまったんでよくわからんくなってしまった・・・
完全に敗北だ・・・。
冷静になって20ほど置いて逃げてくればよかった・・・。
そりゃ危ないって分かっててついてった俺も悪いけどさ・・・。
いや、無料って言われたんだから払わなきゃよかった・・・ウダウダうだうだ・・・etc。

今思えば絶対あのチャーイもやばいよ。
睡眠薬入りで目が覚めたら身包みはがされてた・・・・なんてことに(くわばらくわばら)。

あぁああああ!
腹立つ!むかつく!
と超イライラしながらバス停を探しているとすごく親切にしてもらったり(笑
もうなんだかわからん。

結局当たり前のことなんだけど嫌な奴といい奴がいるってことなんだろうなぁ。
ただそれだけのことなんだね。
嫌な奴だけ見てその国の人間全部嫌いになるのはちょっと狭すぎる気がするし、
いい奴だけ見てその国の人間全部信用できるかって言われてもしちゃいけない。
すっごく当たり前のこと。
それをすっごくあからさまに示してくれた人たち、インド人。
明日からあなた達がいないと思うと気が楽になるし、同時にちょっと寂しいです。
あなた達のそのうっとおしさがかわいく見え始めた矢先にインドを離れてしまうことが
ほんとに悲しいです。

インド国内で会う人会う人に言われますが本気で駆け足で周ったインド。
でも俺的には大満足。
だってインドが好きか嫌いかって言われても「う~ん・・・」だけど
(ちなみに今日の事件がなければ「好きです」って言ってたかも。ふっかけられてよかった。)、
また来たいか?って言われたら即答で「YES!」と言えるから。
(でもデリーにはきたくないです)
それだけで俺の旅としてはOK!


次は中東ヨルダン!
このまま空港で寝て朝の飛行機に乗ります。
(体調が心配・・・。)


age-15
デリーのマックのドナルド。なんかむかつく(笑)

*すみません、体調不良の為今日ほとんど写真撮ってません。
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風邪っぴきのままヨルダンスタート。
2008-02-16 Sat 23:33
旅立ちから44日目の見聞録。
現在放浪6ヶ国目。
「ヨルダン」の「アンマン」に滞在しています。




飛行機が苦手。
単純に怖い。理論的には飛ぶことがわかってても一円玉が空飛ぶなんて・・・
毎回死を覚悟して乗ってます(笑
今回は朝6時半 デリー発 → 朝9時40分 アンマン着のフライト。
なぁんだ約3時間くらいかぁ~と思った俺は大馬鹿(笑
時差をすっかり忘れてました。
実際には5時間ちょっとだったかな?

ヨルダンの時差は日本と7時間もある。
こちらが昼12時なら日本は夜7時ということになってしまう。
遠くへ来たって実感が沸いてきたw

jyo-1
ロイヤルヨルダンの機内食。ノンベジ・モーニング。

しかし体調は優れない。
体が弱ると精神的にもかなり弱気になってしまう・・・。
今結構マイナス思考のヒステリック状態。
いかんなぁ・・・。

jyo-2
そんなこんなでヨルダン上陸!

入国審査は驚く程簡単に終わった。
ビザは空港で取れるとのことだったが日本人はいらないよって言われた。
また状況が変わったのか?まぁいいや。
空港から乗り合いバス(ある程度の人数が揃うまで発車しない)でアンマン市内へ向かう。

しかし・・・ヨルダンも寒い。

っていうかインドより寒い・・・。
中東まで寒いのか。
ほんと予想外。
固定概念って怖いなぁ。
絶対「暑い」か「めちゃ暑い」のどっちかしかないって勝手に思い込んでたもん(汗

乗り合いバスは結構待たされたが出発したらグイグイスピード出すから割とアッという間にバスステーションみたいなところについた。
アンマン中心部じゃないじゃん??!!

そしてお金の感覚がさっぱりわからん。
とりあえず空港で20USドルだけ両替したら約13JD(ヨルダン・ディナール)来た。
空港だからレート悪いんだろうけど一体どんな感じなのかさっぱりわからん。
確か1JDが約170円くらいだったと思ったけど・・・。
しかもバスのスタッフに「いくら?」って聞いてもよくわからん。
とりあえず適当に札を渡してOKだったけど今なら俺ボられ放題ですよ(汗
ヨルダンはお金の単位もいくつかあってルピーさえ覚えておけば問題ないインドとは少し違うみたい。

そんなこんなで目的のホテルまで向かいたいが体調不良でバス探してホテル探すのがおっくうになり
普通にタクシー拾うことに。
インドで身に着けた交渉術で料金の事前交渉・・・
「え?メーター回してくれるの?」
とってもうれしいことにメータータクシーだった!
インドじゃほぼ皆無だった(ってかほとんどタクシーなんて乗ってないけどw)。
ヨルダンって、もしかして素敵な人達ばっか?

ニコニコしながらタクシーの運ちゃんと会話して目的地まで到着した。
タクシーのメーターは1.860JDで止まった。
インドでリクシャーから降りるときの癖でまず荷物をすべて外に出し、
すべて背負っていつでも動ける状態になってからお金を払おうとした
(こうすることで事前の話と違うことを言い出しても約束の金だけおいてその場から離れるのがスムーズにできるのだよ)。
するとタクシーの運ちゃんがおもしろいことを言い出した。

「5JDです。」(なんかほんとにこんなやさしげなニュアンスだったw)

でたっ!俺インドから来てんだぜっ!全然動じませんよ(笑

「はぁ?メーター1.86JDでしょ?」

メーターを見ると0にリセットされている。

「なに勝手にリセットしてんの?戻してよ。」

まくしたてるとおどおどしだした。
とりあえず2JD渡して「残りはチップだ」って言って帰っていただいた。
なんかあっけない・・・。
最後のボスをチェーンソーで一撃で倒せてしまったような・・・(SA○AⅡ)
とりあえずわかったことはヨルダンでもボッてくるみたいね。
まぁかわいいもんだけど。

そんなこんなでお目当てのホテル

「MANSOUR HOTEL(コーダホテル)」へ到着。

jyo-6
細路地の突き当たりにそのホテルはあった。
jyo-5
到着。日本語だぁ~。

なぜここかと言うと(日本人)バックパッカー達の間ではあまりにも有名な人、
「サーメル」がいるからだ。

ヨルダンの観光スポットと言えば
1にペトラ
2に死海
3にサーメル
というくらい超有名人。
俺も彼に会いにこのホテルへ泊まってみることにしたって訳。

サーメルについてはまた別の記事を書きます。
ぜひ読んで彼のことを知ってみてください。
ちなみにmixiには彼のコミュニティーもあるんで覗いてみてはどうでしょうか。

チェックインしようとロビーへ行くとそこには噂どおりやわらかい空気をまとったサーメルがいた。
サーメルはとても優しい物腰で泊まりたいという俺の意思を受け取ってくれた。
確かに中東一いい人って感じはするなぁ。

部屋について(ドミ)荷物を置き、とりあえず腹ごしらえだ。
ってことでホテル周辺をウロウロすることに。

すぐ近くのイラキ食堂という名前の飯屋のおっちゃんに呼び込まれ、
「メニューを見せてくれ」と言ったら「OK!カモン!」といわれ厨房に呼び込まれた。

え?

さらに鍋のふたを二つほど開けて中を見せられた。
どうも店内の料理の名前らしきものはすべてアラビア語で書かれていたため
まったく理解できないと判断されて
「メニュー」 = 「直接料理を見せる」で対応してくれたんだろうか(笑
おもしろかったんでそのままそこで食べることにした。

jyo-3
記念すべき初ヨルダン飯。でもイラク料理らしいけどw

ジャガイモのトマトスープ煮込みは想像以上に味が薄かったが風邪っぴきのおいらにはちょうどよかった。
写真だと白飯に見えるけど実はちょっと黄色がかってて、塩味となんかの味がついて
そのまま食べれるライスもおいしかった。
幸先いいな~。

上機嫌でホテルに帰る。

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ホテル前の通り。

欧米人宿泊客やヨルダンの人もスタッフで何人かいるがこのホテルで圧倒的に多い宿泊客は日本人。
UNOやっている輪にもすんなり溶け込めていろいろ話しをすることに。
みんな今からヨルダン側の死海に行くみたいで「一緒にどお?」と誘ってくれたが
体調的にダウンだったんで止めた。
ホテルでおとなしく情報収集に徹することにした。

日も暮れようとしてきたので再び街を徘徊することに。

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グリルチキン!めちゃくちゃうまそう・・・。
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砂をビンに詰めて模様を作ってた兄ちゃん。
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カップルが食ってたんで「それ何?」って聞いたらくれたwちょっと甘すぎ・・・。
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マネキン怖いって(汗)。
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ケバブ待ちで隣にいた少年。めちゃくちゃ美しい少年だったわw

初のケバブにチャレンジしてみた。

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くるくる回しながら肉を焼くスタイルは中東が本場でしょう。

他にも羊の肉を露天で焼いてたりしてたんだけど・・・
ニオイを嗅いだ瞬間「おいしそう」じゃなくて「あ、人のニオイと似てる。」って思ってしまった。
最悪やぁ~。
急にマニカルニカーガートの記憶がフラッシュバックしてきてがっつり肉が食える気分じゃなくなってしまった(汗

ケバブはパンで包むしなんだかニオイもしなかったから思い切ってチャレンジしてみたって訳。
(ちなみに日本にいるときは羊肉:マトンは大ッ嫌いでした。)

感想は意外にもうまい!こりゃ羊肉も見直さなきゃだな。


再び宿に帰ってだらだらしてると死海チームと新たに入ってきたチームが集まって
みんなで「ダハブゲーム」というのをやることになった。
このゲームはエジプトのダハブ発祥のゲームらしく「初めまして同士」でもすぐに仲良くなれるっていうゲーム。
かなり奥が深く基本的に嘘がつけない俺は超弱かった(笑
時間も忘れてゲームに没頭してしまい気付いたらかなり夜中になっていた。
みんなまだまだやる気満々だったが体調が悪化してきたため戦線離脱。

お先に寝ることに。

しかし旅で出会う人にはすごい奴らがいっぱいいるもんだ。
今日出会った奴には「南米とアフリカを単車で一周しました」とか、
19歳の普通にかわいい女の子の中東独り旅とか、
「チャリダーです(チャリで世界を旅する人)。シンガポールからきました」なんてやつもいた。
チャリダーにいたっては地元がまったく同じ。超近所。だけどめちゃくちゃ若い奴。
俺その年齢のときにチャリで世界を旅しようなんて考え皆無でしたよ(汗
すげぇな・・・。

そんなやつらに比べれば俺なんて鼻くそみたいなもんだけど旅の目的は人それぞれ。
人生と同じ。
自分を見失わずにマイペースで歩いていこう。



そしてまずは風邪を治そう。


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ダハブ中。みんな超真剣。


追記
【冒険の書】の「未分類」にサーメルの記事をUPしました。
ぜひ一度見てみてください。
よろしくお願いいたします。    2008.02.16
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サーメルについて。
2008-02-16 Sat 23:52
ヨルダンの有名人
「サーメル」について紹介します。
この文章は宿においてあるサーメルストーリーとまったく同じです。
日本にいて、まだサーメルについてよく知らない人の為にUPします。
またmixiでサーメルのコミュニティをやっている方もいるのでぜひ読んでみてください。

では。

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サーメルについて

父が話してくれたことによると、パレスチナにいた私の祖父がヨルダンに移ったのは1948年(第一次中東戦争)のこと。それまではイスラエルの北部、ハイファのソパリンという小さな町に住んでいた。(今はソパリンという名の町はなく、別の名前になっている。)

当時、私の父は7歳、祖父の職業は不明。イスラエル軍の攻撃から逃げ、祖父らはアンマンに移った。そのあとイスラエルが独立を宣言。イスラエルとヨルダンの間に、国境を作ってしまい、祖父ファミリーはパレスチナに戻ることが出来なくなってしまった。本当はパレスチナは私の祖国なのに渡航にはビザが必要なのだ。そのときパレスチナ、ヨルダンで親戚がいたりたまたま離れていた家族はそのために引き離されてしまった。私の母と母の姉がそのパターンで、1948年当時、母の姉は14歳、母は7歳。

家族、親戚がパレスチナからでるとき、母の姉は一人アンマン行きを拒み、パレスチナに残った。彼女はそのとき、パレスチナに好きな男性がいて、彼と一緒に残るほうを選んだのだ。真偽は不明だが、私の祖母と母が語ったことによると、イスラエル軍の仕打ちは本当にひどいものだったそうだ。「本当なら傷ついても死んでもパレスチナを離れたくなかった。でもイスラエル軍は略奪、殺人あらゆることをした。中でもひどかったのは若い女性に対するもので、若い女性を捕まえ裸にしてトラックに積んで、道に立たせるというもの。レイプもあった。ムスリムの女性にとってこのような仕打ちは死ぬより辛いもの。でも逃げることも助けることも出来なかった。布をかけてやるだけで撃たれてしまうのだ。ここまでされるのならもう逃げるしかない。出て行くしかない。」

それから60年近く経つけれど、戦いは終わっていない。2年前、パレスチナ自治区北部、ナプレスに住む叔母に電話をかけた。パレスチナ訪問のビザを取るために、パレスチナ在住の人の助けが必要だったからだ。叔母は「残念だけど手伝ってあげられない」と言った。4年前の アルアクサ・アンティファーダ(対イスラエルのパレスチナ人の戦い)により、4人の息子のうち、2人が死に、2人が投獄されているのだと言う「いまの私の家族状況では、ビザのサポートとして問題があるから」叔母はそう言った。

 家族の話をしよう。父と母とは遠い親戚で、同い年の幼なじみのようなものだった。17歳のときに結婚、アンマンの郊外に小さな家を建て3年後に長男ハッサンが生まれた。父はエレクトリック(電気器具の修理が主)として忙しく、週の1,2度しか帰ってこれないほどだった。それでもお金はたくさん得られたので、アンマンのダウンタウンから少し離れたところに大きな家を買った。そこで3男、4女をもうけ、私たちはそこで暮らした。私は8人兄弟の4番目。長男ハッサン、次男アベット、長女サウサン、私、妹スーハ、妹ハイファ、妹タハニ、そして末の4男フィクリ。

その家で私は18年暮らしたが、その生活は必ずハッピーと言うわけではなく、母は上の兄2人を特に可愛がっており、姉のサウサン、2人の妹、スーハ、ハイファ、そして私のことはどうでもよかったようだ。末の妹タハニと弟フィクリが生まれ、やはり老いてからの子供は可愛いのか、その2人のこともとても可愛がったが、兄弟間で母から差別を受けることは辛いことだった。母は衣服、身の回りの持ち物、食べ物などで差別をした。普段から私と姉、2人の妹は十分な食べ物を与えられなかった。母はとにかくお金に対する執着が強く、父がちゃんとお金を与えているにもかかわらず、食事はごく質素で、さらに可愛がられている兄たちの食事より、私や姉妹の食事は少なかったので木曜日と金曜日以外はひもじい思いをした。木曜日と金曜日は決まってご馳走だった。父が帰ってくるからだ。母は父に見えるところだけ、取り繕うようにお金を掛け、私たちにもきれいな服を着せ、普段からそうしていたかのような振りをするのだった。楽しいはずのラマダン明けの祭りでさえも、私にとっては辛いものだった。父が帰ってくるのは嬉しい。しかし、ラマダン明けの祭りの数日間はたくさんの食べ物をそれこそ食べきれないほど用意しなくてはならなかったので、お金を使いたくない母としては相当めんどうで、いやだったらしい。

母は本当に些細なことであるときは、理由もなく私や姉妹を罵り、棒でぶった。もちろんそれは、父のいないところでだったが。私が12歳になる頃には父と母との間に言い争いが絶えなくなった。私や姉妹は学校が大好きだった。学校にいれば友達もいるし、大好きな勉強も出来る。なにより母に辛く当たられることもないし。父や母が言い争うのも、見ないですむ。家に帰りたくなくて、私たちはよく家出をした。「もう帰らないからね」という私たちを、母は止めなかった。しかし行く当てもなく、いつも警察に保護されてしまい、そんな私たちを迎えに来るのはいつも父の役目で、父のいないときには兄が渋々くる、といった感じだった。母が私たちを迎えに来たことは1度もなかった。

そんな中、母の妹が私たちのことを庇い、たまにではあるが、家出をすれば少しの間、泊めてくれたり食べものを与えてくれた。彼女は私たち兄弟8人を分け隔てなく、可愛がってくれた。父や親戚はたまに、おみやげを買ってきてくれたが、私や妹の手に渡ることはまれだったし、母は父がくれた1JDのこづかいさえも取り上げた。ある日父は、私にと腕時計を買ってきてくれた。私はとても嬉しかったが、父が出かけた途端、母はそれを私から取り上げてしまった。きっと母はその時計を兄にやってしまったのだと思う。

ある日、母からの仕打ちに堪りかねた妹スーハは、母が普段、自分たちに少ししか食べさせてくれないことや、私たちに対する暴言、兄たちとの差別、いままでの仕打ちを手紙に綴り、父の鞄にそっと忍ばせたが、それを見た父は「この手紙に書いてあることは本当か?」と母に見せてしまい、さらに母の怒りを買い、母は私たちをより一層、憎むようになってしまった。手紙について母は父に、「あなたに家にいて欲しくて言った嘘だ」とうまく言いくるめられ、信じてもらえなかった。私たちは父が別の仕事についてくれることを願った「お父さんが仕事をかえて、毎日いえに帰ってきてくれたらいい。そうしたら毎日ご飯を食べられるし、母さんも私たちをいじめない。早く大きくなって、結婚してしまいたい。そしたらこの家を出て行ける」。

その言葉通り、2人の妹、ハイファとスーハはエジプト人と結婚し、いまはエジプトに住んでいる。姉サウサンはヨルダン人と結婚したものの、わずか1ヶ月で結婚生活は破たんした。姉サウサンと妹ハイファは父が決めた男性と結婚したが、スーハは自分で結婚相手を決めたため、父の怒りは大変なものだった(いまは許している)。
 

15歳で学校を卒業してから、3年間、職を転々としながら働いた。車の修理工場、プラスチック工場、靴の修理屋・・・仕事はとてもハードで賃金は低かった。しかし母は給料のほぼ全てを渡すよう要求し、私のところには毎月、5JDくらしか残らなかった。交通事故で右足で怪我をしてしまって、1年間働けなかったときもある。そんなときでさえ、母は何もしてくれなかった。母との良い思い出はそういえば1つも思い出せない。友達を家に連れてきて遊ぶということも、兄には許されていても、私たちには許されていなかった。大家族の中にありながら、私も姉も妹も孤独だった。
 
父との思い出は、父はとても明るく社交的で、母とは対極の人だった。よく家にたくさんの人を招いて、パーティーをして、それは楽しかった。忙しい中、休みの日には父は私たちを紅海やヨルダンバレーに旅行に連れて行ってくれた。母はけっして行かなかったし、母が止めたのか兄もあまり行かなかったが、私や妹は父と出かけるのが大好きだった。本当に楽しかった。父はずいぶんあとになって、母が私たちにしたことを知ったらしい。「あのとき助けてやれなくて気づいてやれなくて、すまない」。父は私たちにそう詫びた。

19歳のときにクリフホテルで働いていた知人が「おまえもここで働かないか」と誘ってくれて、私はこのホテルで働くことにした。給料は良くないけれど、母のいる家に帰らなくていいし、事故で悪くしてしまった右足のせいで他の職業にはなかなか就けなかったからだ。
 
クリフホテルに来て4年ほど経ったころ、私は精神的に不安定になっていた。アンマン、この大都会で、独りぼっちになった気がした。友人も本当に心を許せるものはおらず、母の家には帰れない。父にも妹にも会えない・・・。そんな中、ある日、私はなんの薬だか分からないが、とにかく一気に大量にその薬をのんだ。「薬をたくさんのんだら死ねるかもしれない・・・。」そう思ったのだ。しかし、薬をのんでも、気分が悪くなり、意識が朦朧とするだけでまったく死ねそうになかった(胃薬だったのかな)。そんなことを何度か繰り返し、私は自分自身を傷つけてばかりいた。「私が死んでも、だれも悲しみはしない・・・。」そう思っていた。アンマンは本当に都会だ。こんなにたくさんの人がいるのに、ここでもやっぱり私は孤独だった。そんなときが何年か続いた。


 クリフホテルには、あらゆる国から旅人がやってきた。フランス、ベルギー、アメリカ、カナダ・・・冷たい人もいたし、優しい人もいた。もちろん旅人からしたら、アンマンなど旅の中継点でしかないだろう。でもそんな中に私は温かい心があるのを感じた。通り過ぎたあとには、忘れていくだけのはずのこの宿に私宛に「元気?」「ヨルダン楽しかったよ」と葉書や手紙を寄越す旅人がいた。礼儀正しく、優しく、明るい。振り返ってみると私に優しい言葉を掛けてくれたり、微笑んでくれていたのは遠い東の小さな国からの旅人たちだった。私たちアラブ人と同じ黒い瞳を持つ日本人。

私は彼らといて“ああ家族みたいだ”と思った。なぜだか分からないけれど、不思議と日本人の旅人とは心から打ち解けあえたのだ。フランス人やイギリス人はここを離れるとぷっつりと連絡が途絶えてしまう。でも日本人の多くがこの宿を離れる前に、ノートに思い出や“ありがとう”の言葉を残してくれた(情報ノートのこと?)。離れても忘れない、遠くても思い出す。やっぱり私はこれは「家族のようだ」と思わずにはいられない。私のために泣く人もいた。私のために怒る人もいた。私のために必死になる人もいた。皆、「サーメルはどうしてそんなに優しいの」と言うけど、私にとってもそれは同じ。知り合って間もない私に、こんなに良くしてくれて、こんなに思ってくれるのだから。

私もわたしの出来ることを大切なファミリーにしてあげたい。私には帰る家もないし、家族もバラバラになってしまったけれど、私はここで自分の場所と血のつながらない兄を、姉を、弟を、妹をたくさん得ることが出来たから。だから私は今とてもしあわせだよ。だってすごいBig Familyだよ。今日もどこかから、わたしの兄弟がここにやってくる。私はそれがとても嬉しい。
 
長旅に疲れて、やっと家にたどり着いた、弟、妹にソファーで休むように促し、ご飯を食べさせたり、お茶やコーヒーを入れることはごく自然なこと。私はだれもが家族に対し、当然することをやっているだけだ。君たちが旅を終えて、日本に帰ったとき、君の父や母はどうやって君を迎えるだろう。姉や兄、妹たちは久々に帰ってきた君のために何をするだろう。

私はいつもそんな気持ちで、今日も重い荷物を背負い、不安げな表情で「今日、部屋はありますか?」とクリフホテルの扉を日本人を待っている(日本食は出してあげられないけどね)。荷物を降ろし、ソファーに掛けて、熱いネスカフェのカップを手に、君たちがホッとした表情をするのを見ると、こっちまでホッとする。「おかえり、ようこそクリフホテルへ」。そしてクリフホテルで休んで、地図を見て、また元気に旅立っていく、私の弟、妹たちよ。どうか無事、旅を終えて日本に帰って欲しい。そして私のことも思い出して。いつかきっとまたヨルダンにもきて欲しい。いつでも帰ってきていいよ。ここは君の家でもあるのだから。



パレスチナについて

イスラエルが出来るまでは、ヨルダンとパレスチナの間に国境はなく、人々は簡単に行き来できていた。アンマンからアカバから行くように、同じ国内を移動するような感覚だった。ヨルダン人とパレスチナ人の間に違いはなかった。

1948年パレスチナに集まってきたユダヤ人はアラブ7カ国と戦争をし、7時間で勝利し、イスラエルを作った。イスラエルが国境を作り、戦火から逃れるため、国外へ出たパレスチナ人はもう自分の国に帰ることが出来なくなってしまった。他の国は分からないが、ヨルダンでは国連がキャンプを作り、家を建てるための援助もした。家族ごとに病気や怪我で病院へ行かなければならなくなったときに、無料で治療を受けられる書類も発行された。そうしてヨルダンへ逃れてきたパレスチナ人は家を建て、仕事をし、生活を始めた。

幸せに暮らしている家族もあるだろうが、私の叔母のように、パレスチナに残って家族が離れ離れになってしまい、いまだし再会できない場合が多い。ヨルダンに住むパレスチナ人がパレスチナを訪れるにはビザが必要になる。パレスチナに家族がいれば、ビザ発給のための書類を書いてもらえる。それがあれば比較的かんたんにビザを取得できる。私もパレスチナへ行ってみたい。会ったことのない叔母を訪れたい。しかし、私の叔母の4人の息子のうち2人はイスラエルに逮捕され、2人は殺されてしまった。彼らはインティファーダの活動に参加していないのに、何もしていないのに・・・。

叔母には手助けしてあげられないと言われた(政府にマークされているから)。パレスチナの家族の手助けがない場合でもビザを申請することは出来る。大使館へ行って申請し、指定の銀行でUS50$を振り込み、返事を待つ。

10回目の申請でOKをもらえるかもしれないし、100回申請してもダメかもしれない。彼らはお金を振り込む前にビザをくれるかどうか決して教えてくれない。私にはそんな方法はとれない。金銭的にも不可能だ。

パレスチナ側の人がヨルダンへ入国することは簡単だが、税金も移動費も高く、お金に余裕のある人しか出来ないから、60年経つ今でも離れたまま再会を果たせないでいる家族がたくさんいる。

毎年、2,3回は叔母に電話をする。去年は2回した。電話するたび叔母は少し泣きながら「食べ物がない。夫の給料は少なく、全てのものが高い。イスラエル軍がノックもせずに、突然家に入ってきて、テロリストを探しに来る。」という。何かしてあげたくても、私には何も出来ないのだ。

ほとんどのパレスチナ人はイスラエル政府、ユダヤ人のことが嫌いだ。インティファーダが起こる6年前までクリフホテルにもユダヤ人のゲストがよく来ていた。私はもちろん「ようこそ!」と言い、もてなすが、実は内心気分は良くなかった。でもユダヤ人の中にもいい人はいる。私は4人のユダヤ人の友達がいて、その中でも特にアディルさんという人は平和が好きで、パレスチナ人のことも好きだ。彼は今でも時々私に電話をくれる、とてもいい友達だ。

多くのパレスチナ人はサダム・フセインのことが好きだった。イラクがフセイン政権のとき、サダムはパレスチナ人を助けていてくれたからだ。パレスチナ人はイラクに簡単にいくこともできた。もし、パレスチナ人がイスラエルに対して自爆テロをすれば、サダムのポケットマネーから家族に20,000ドルが渡されていた。

6年前のインティファーダの時、確かパレスチナのラマンラーという街だったと思うが、アハマドドゥッラーという少年とその父親が、イスラエル軍とパレスチナ人の銃撃戦に巻き込まれた。父親はアハマドドゥッラーを守るために、撃ち合いを止めようとしたが、イスラエル軍に父親は腕を撃たれ、アハマドドゥッラーは殺されてしまった。アハマドドゥッラー達を助けに来た救急車も、イスラエル軍に撃たれてしまった。サダムはアハマドドゥッラーの家族に20000ドル払った。当時はこういうことがよくあった。私はサダムが自爆攻撃をした人の遺族にお金を渡すのは、いいことだとは思わない。しかし、父や息子を殺された彼らに、何が出来るだろう。武装したイスラエル兵に石を投げる?そんなことをしても意味がない。自爆と言う方法しか彼らには残されていないのだ。

サダムが死刑になったとき、全パレスチナ人が悲しんだ。私も悲しかったが、それはイラクでの殺し合いを止められるのはサダムしかいなかったからだ。サダムが死んで、イラクは終わった。毎日100人もの人が死んでいる。スンニとシーアの殺し合いだ。サダムが悪い人間だったことは私も知っている。クルド人がサダムを暗殺しようとしたときには、千人以上のクルド人を殺した。それでも、サダムはベストだった。少なくとも国はひとつにまとまっていた。イラクには、サダムのような強い力を持った人間が必要なのだ。

ヨルダンの人口の70%はパレスチナ人だ。そして、アンマンの住民250万人のほとんどはパレスチナ人だ。だが、政府関係者、公務員はほとんどがヨルダン人、権力はヨルダン人が独占していると言っていいだろう。パレスチナ人の公務員もいるにはいるが、ごく少数だ。職業に就くのはとても難しい。だから、給料もヨルダン人300~500JD/月、に対し、パレスチナ人は150~200JD/月と最低賃金の120JDより少し多い程度だ。

ヨルダン人とパレスチナ人は住む場所が違うため、学校も違う。互いに嫌いあっていて、ヨルダン人はパレスチナ人の、パレスチナ人はヨルダン人の友達は作らない。私もヨルダン人の友達はいないし、つくろうとも思わない。ヨルダン人が怖いのだ。

例えば、街でパレスチナ人とヨルダン人がけんかをしたとする。警察へ行って、最初の質問は決まって名前だ。名前を聞けば、ヨルダン人かパレスチナ人かが分かるからだ。ヨルダン人の警察が気にするのは、どちらに非があったということではなく、どちらがヨルダン人かということなのだ。ヨルダン人に非があったとしても、警察は彼にコーヒーをサービスし、被害者のパレスチナ人には暴力を加える。私は何回も警察署でその現場を見てきた。それが殺人事件であったとしても、ヨルダン人にお咎めはない。なぜなら、ヨルダン人の家族には力があって、警察は何も出来ない。パレスチナ人の家族も何も出来ない。ヨルダン人の犯人の家族から、お金を渡されれば、それを受け取り、黙っているしかない。お金すら受け取れないこともある。私がヨルダン人の友達を作らないのはそういった理由からだ。近づかないほうが身のためなのだ。近づけば常にYESと言い続けなければならない。それに、彼らの中には銃を持ち歩いている人がいる。違法だが警察は何もしない。でも、もしパレスチナ人が銃を持っていたら、大変な問題になってしまう。パレスチナ人はそういう不公平な社会の弱い立場に置かれているのだ。

以前はパスポートにヨルダン・パレスチナ人と記載されていたが、2年前にヨルダン人とだけ書かれるようになった。警察などで起こっているそういった問題を減らすためだ。しかし、名前や話し方、顔の色でヨルダン人かパレスチナ人かすぐにわかってしまう。何の問題の解決にもなっていない。ごく少数だが、私の父のようにパレスチナ人がヨルダン人と結婚することがある。(サーメルのお父さんの再婚相手がヨルダン人)でも、もし離婚したら、彼は彼の妻の家族に殺されるだろう。

パレスチナは私の祖国だ。出来るなら、帰って生活したい。しかし私が生きている間は実現しないだろう。なぜなら、エジプトやシリア、ヨルダン、レバノンの国々は、パレスチナ人をパレスチナの地へ戻らせたくない。多数のパレスチナ人が自分の国からいなくなっては、経済が成り立たなくなってしまうからだ。それに、あの国はもうイスラエルになってしまっている。今後も彼らは決してパレスチナ人に返そうとはしないだろう。パレスチナの50%だけでいい。それだけの土地があればいい。それでフェアだと思う。追い出されたパレスチナ人が、みんな祖国へと帰れる日が来ることを願っている。

日本のみんなにはこういったことが今も起こっていることを知って欲しい。パレスチナ人はテロリストじゃない。祖国で静かに生活したいだけだ。平和が早く訪れることを願っている。



日本人について思うこと

 私は日本人を家族のように思う。今の私があるのは日本人のおかげだ。以前まで私の気持ちは暗く沈んでいた。

2年前、コーダがこのホテルを出て、イラクから帰ってこれなくなったからだ。私はとても悲しかった。服毒自殺も図った。そんなすさんだ時も日本人旅行者の温かさに助けられた。いま私が生きていられるのは日本人のおかげなんだ。
もちろん他の国の旅行者たちも好きだ。でも彼らは自分の国に戻ったら、私のことは覚えていないだろう。でも日本人は連絡をくれる。まるで家族のように・・・。家族に恵まれなかった私には日本人が家族なんだ。

16歳のとき、足を骨折したが、検査のため病院に行くときも母は付き添いはおろか、タクシー代も出してくれなかったため、片足を引きずって通院した。また母は機嫌が悪いとき、よく私に当たった。食事が出なかったり、家を追い出されることもあった。路上で泣く私に人々は声を掛けるが、私は「なんでもない」としか言えなかった(おそらく母親からの報復が怖かったのでは?)。

多くの日本人は私と同じように悩みを抱えているように思う。悲しく思う。



コーダについて

その日、2004年10月19日午後4時頃、その電話は鳴った。
「日本人があんたの所のホテルに行きたがっている、住所を教えてくれないか?」 アラブ人の男からだった。その5分後にアラブ人の男(タクシードライバー)と一緒にコーダはここクリフホテルにやってきたんだ。

コーダは始め、イラクの話などせず、ただ、「ドミトリーに泊まりたい。」と言ったので私は彼を部屋に案内したんだ。(ここら辺のやりとりは、 下川裕冶さんの本の記述と食い違いますが、 サーメル本人の話をそのまま書きます)

私は宿の宿帳に彼の名前を書いていた。すると突然彼が「今からイラクへ行きたい。どこからセルビスが出ているか教えてほしい」と言い出したんだ。私は「セルビスで行くのは危険過ぎる」と答えた。セルビスで行くのはツーリストくらいしかいないから狙われる危険が高いからだ。するとコーダは「I have to go」と言ったんだ。

理由を尋ねると、「イラクの子供達を助けたい…、イラクへ行って何が起こっているのか自分の目で見て、日本へ帰って人々に伝えたい…」と。私は「もし本当に行きたいのならバスでしか行けないよ」と言い、彼は「OK、今から予約してください」と言った。 私は本当に予約しようと思えば、その時すぐにできたけど、彼を止めるチャンスがまだあると思っていたから、「今日はもう遅すぎて予約できないよ」と嘘を付いた。彼は「じゃあ明日のバスを予約して下さい」と言って部屋に戻っていった。

コーダが部屋から出てきて、サンドイッチを買いに行って、レセプション裏のバルコニーで食べていたのが16:30頃。その後部屋に戻って、少ししたらロビーの本棚の前に立って情報ノートを見ていた。そしてすぐに部屋に戻っていった。(情報ノートとは、旅人が自分の通ってきた道を、 次の旅人の為に情報を残し伝える為のもの)彼の様子は他の旅行者と違って見えた。数十分後にまた部屋から出てきて、バルコニーで長い時間座って通りを眺めていた。私は彼の事が心配で、バルコニーへ行って話しかけたんだ。「まだイラクへ行きたいと思ってるの?」って。 彼は真剣な顔をして「Yes」と答えるだけだった…。

その時ホテルに泊まっていた他の日本人の男の一人に、コーダと話をしてくれるように頼んだんだ。日本人と話す事で、コーダがイラク行きをやめようと思ってほしかったから。 その人がバルコニーに行ってコーダと話しをしていた。私は何かジョークを言って彼を和ませようと、「まだ気持ちは変わらない?もし本当にイラクへ行ったら、アルジャジーラ(カタールの衛星テレビ局)に出る事になるよ?」と冗談のつもりで言ったんだ。もう一人の日本人は笑っていたけど、コーダは笑顔は見せなかった。少し怒ってしまったようだった…。

その後もコーダとその日本人は長い間話をしていた。二人が話し終わった後、その日本人が 「彼はイラクへどうしても行くと言っている。誰も彼を止める事はできないよ…。」と私に言った…。

次の日(10月20日)の朝、10時頃にコーダは起きてきて「予約はしてくれましたか?」
と聞いてきた。私は、「18時のバスを予約しといたよ」と答えた。けれどこれは嘘で、本当は予約なんかしていなかったんだ。まだ彼を止めるチャンスがあると思っていたから…。 12時にチェックアウトをしてから、ロビーのソファーに座っていた彼に「まだイラクへ行きたい気持ちは変わらないの?」と何度も尋ねたけど、「変わらない」と…。もし、本当にバスを予約するなら14時までにする必要があった。だから14時前に最後にもう一度尋ねた。そこでも彼のイラク行きの意志は変わらなかった…。それで仕方なくバスの予約をしたんだ。彼を止める事はできなかった…。

その後、コーダが「イラクから戻ってくるまで預かっといて下さい」と私にある物を渡してきた。それは死海で拾った石とタオル、そしてイラクの子供の写真だった。写真は10枚くらいあって、戦争で傷付いた子供達が写っていた。コーダは、「日本人から貰った」と言っていた。

彼が亡くなった後、彼の家族にその写真を全部送ったら、 その内の一枚のコピーとコーダの写真を送ってくれた。(子供が血を流しベットの上で寝ている写真。クリフホテルで見る事ができる)送られてきた写真の子供はまだよく、もっとひどい状態の子供の写真ばっかりだったよ。 コーダはこういう子供達の為に何かしたかったんだと思う…。

コーダは出発までの時間、少し外に行った以外は、ずっとロビーで情報ノートを読んでいた。17時頃に日本人の男の人(昨晩、香田さんと話をした人)と一緒に、コーダをバスターミナルまで見送りに行ったんだ。彼は 「アッサラーム、さようなら」と言い、バスに乗り込んで行ってしまった…。

彼を見送った2時間後に日本大使館に連絡する事にした。「2時間前に日本人、コーダショウセイがイラクへ向かいました。まだ国境に着いていないはずです。もし可能なら彼を止めてほしい」と伝えた。すると 「お電話ありがとうございました。また何か分かり次第教えてください」とだけ言われたんだ…。

その後バグダットのホテルで働く知人に電話して、日本人がホテルに来たかどうか聞いたら、来てないと言われた。そのホテルをコーダに教えていたから、必ず行くだろうと思って、しばらくしてもう一度電話をしたら「確かに日本人が来たけど、身の安全を保障できないし、ホテルが狙われる危険もあるから、泊めてあげられなかったんだ…」と言われてしまった…。(武装グループがホテルへ押し入り、外国人を誘拐していく事件が頻繁に起こっていた。ホテルはそれを恐れていた。)

26日(日本時間27日)の夜中に国連の人 (サーメルとは前からの知り合い)から電話がかかってきて「日本人がイラクで人質になりました。アルジャジーラか、NHKを見て下さい」 と言われた。 テレビを付けると、そこには武装集団に囲まれたコーダの姿が…!!私はとても驚いてショックだった…。ザルカウィ率いるアルカイダに捕まったと知って、「もし、彼らが要求している時間内に、日本政府が何もしなければ、 彼は間違いなく殺されてしまう…」と思って絶望的な気持ちになった…。

その後、日本政府(外務省)からクリフホテルに人が来て、私にコーダの事を色々と質問した。けれど、その半年前に高遠さん、郡山さん、今井さん達三人が、イラクで人質になった時は、外務省、自衛隊、ヨルダン政府の人達がクリフに何度も来て、もっと色々な事を聞かれたし、とても慌ただしい雰囲気だったよ。(高遠さんら三人もクリフホテルに泊まって、ここからイラク入りをした)けど、コーダの時はそんな感じではなかった。多分三人の時と同じように助かるだろうと、 殺される事はないだろうと考えていたんじゃないかな…。だけど、私は 「危ない…」と思っていた。捕まったアルカイダというグループが危険すぎたから…。その後 『アジア人の遺体発見』という報道が2回あったけど、コーダではなかった。

だけど30日の22時に、ニュースで彼の遺体が発見された事を知った…。日本大使館からも電話がかかってきて、彼が殺された事を知らされたよ…。その2日後に彼の家族から電話があって、私が謝ると「あなたのせいではないですよ」と言ってくれた。私はコーダが殺されてしまったと知った時に、 心の中で誓ったんだ…。いつか私の夢である自分のホテルを持てる日が来たら、ホテルの名前に彼の名前を入れようと。

数ヵ月後に日本大使館に電話をして彼の家族に「ホテルの名前を『KODA HOTEL』にしたい」と伝えてくれるように頼んだんだ。 そしたら1週間後に彼の家族から 「色々とありがとうございました。ホテルを作る時にKODAでもSHOUSEIでも、どちらでも使ってください」というような内容のFAXが届いた。だけどその後、ヨルダンの役所に『KODA HOTEL』は許可できないと言われてしまった…。(個人名、又はあの事件で?)

実際受け継ぐ予定の『MANSUR HOTEL』から名前を変えて、再登録するには、色々な手続きと、時間、費用が大変かかってしまうんだ。HOTEL名はそのままでスタートし、いつか余裕ができたら『KODA HOTEL』に変えられるようにトライするつもりだよ。だけど、もしオープンできたらすぐHOTELの看板の下に、日本語で『コーダホテル』か『香田ホテル』と、書こうと思ってる。日本語なら役所にバレないからね!彼の事を一生忘れないように。そしてみんなにも彼の事を忘れてほしくないんだ。

私はいつも帰らない弟の事を思う。コーダはレセプションの裏の狭いバルコニーから、アンマンのつまらない通りを眺めていた。…今でも思い出せる。ソファーでノートを見ていたコーダ、部屋に向かう後姿、クリフホテルから出て行ったあの日、ターミナルからバス に乗り込んだあの時の事を…

sa-2
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眠りまくってますがなにか?。
2008-02-17 Sun 23:03
旅立ちから45日目の見聞録。
現在放浪6ヶ国目。
「ヨルダン」の「アンマン」に滞在しています。




jyo-14
午後3時の朝ご飯。

目が覚めたら昼の2時。
体調は・・・まだあまり優れない。
う~ん長引きそうだなぁ。

昨日の出来事は夢幻か?っていうくらいみんないなくなってた。
それぞれ死海組とペトラ組に別れて出発してしまってた。
ヨルダンの観光は乗り合いが多いので何人か固まって動いたほうがお得らしい。
俺は一人ぼっちでボーっとして飯を食いにいった。
昼の3時。。。

ピクルスがめちゃうまかったなぁ・・・。
う~ん、イマイチ調子でない。
少しだけアンマン市内を観光して宿に帰った。

jyo-15
いろいろ売ってるお店の前で仁王立ちしていた少年。
jyo-16
フレンドリーな青年。
jyo-17
ローマ劇場前で。入場料は1JD。
jyo-18
ヨルダンの素敵な町並み。
jyo-19
骨董品(土産屋?)のショーウィンドウ。

ヨルダンの街はゴミがほとんどなくとっても綺麗。
人も優しく客引きなんかも全然いない。
店の人がたまに声をかけてくるが全然しつこくないしみんななにより明るい。
すごく素敵な街だと思う。

しかしあることに気付いてしまった。

あきらかにシャッターを切る回数が少ないことに・・・。
世界でもトップランカーの「人が優しくて親切な国」からきてる日本人としては刺激が・・・。
あれほどうっとぉしかったインド人が急に懐かしくなる(まだ2日目だけどw)。
中東の女性は話に聞いてたとおり美人がかなり多い!
だけど女性に関してはイスラムの国ではかなり気をつけなきゃだから気軽に写真なんて撮れない。。。
う~ん、快適なのに早く移動したくなってきた。どういうこっちゃ?
とにかく体調だなぁ・・・。
すっげぇ寒いのよ、とにかく。部屋で息が白くなるくらい。

サーメルが入れてくれるネスカフェがすごく嬉しい・・・。




zzz・・・。(午後7時)。。。
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死の海と書いて「DEAD SEA」。
2008-02-18 Mon 23:49
旅立ちから46日目の見聞録。
現在放浪6ヶ国目。
「ヨルダン」の「アンマン」に滞在しています。


朝6時起床!
昨日俺ヨルダンまできて5時間しか生息できなかったのね(泣
まぁだぁいぶ体調よくなってきたからOKだけど。

ってか今日なにやろう?
そろそろ動かないと体がなまっちまう・・・

ってことでその場のノリで急遽宿の子達と「死海」に行くことになった。

死海・・・

実はもんのすごく行きたかったんよ。
ちっちゃいとき教科書で写真を見て
「ほんとに浮くんかなぁ~。いけたらいいなぁ。」って思ってた。
正直生きてるうちに行けるとは思ってなかったのに・・・。

dead_sea.1
6JDのビーチ施設。オフシーズン故ほとんど貸切状態!

やっほぉ~い!
テンションが(病み上がりもあって)馬鹿上がり↑。

とにかく速攻(この旅初の)水着に着替えてビーチへダッシュ!
久しぶりに中学生くらいに戻った気がしたw
みんななかなか入ろうとしないので先陣を切って死海に突入することになりました!

水は冷たいけど期待のほうが大きいから全然気にならない。
ちょっとずるっと滑って岩で足切ってしまったのは痛かったが・・・。
死海ではちょっとした傷でもとんでもなくしみるのだ(泣

dead_sea.2
わざわざアンマンの路上で買ってきた新聞。フムフム世界情勢は・・・。。

それでもめげずに入水していく。
そろそろ深さ的にもいい感じ、さぁいくぞぉ・・・

お、

おおお!!

おおおおおおお!!!!


う、浮いたぁ~!!

ははは、

浮く、浮いたぁああ!!

dead_sea.3
記念すべき初浮き!死海で新聞は読めることが証明できた!!

ほんとにまったく苦にならずに体が浮きますよここ(笑
すげぇ~!
テンションはウナギ昇り!とても昨日まで寝込んでた人とは思えない(笑

その後みんなもそれぞれ浮いてキャッキャッ、キャッキャしましたとさ。

dead_sea.4
対岸に見えるのはイスラエル。死海は国境をまたいでるのです。
dead_sea.5
塩分濃度が高すぎて波打ち際には塩の結晶が。
dead_sea.6
とにかく浮くのよ!
dead_sea.7
浮いたまま死体になれますわw

塩分濃度が高すぎて肛●とチ●コがヒリヒリしてきたw
ほんとあんまり長い時間は入っていられません。
しかもすっごいベトベトしてなかなか取れないし・・・・
最悪なことに目に水が入った!
これには冗談まったく抜きで焦った!
涙がドバドバ出たけどまったく流れずに急いでシャワー行って洗い流した。
俺ハードコンタクトだからなおさら焦ったて(汗
ちなみにお味のほうはというとしょっぱい通りこして「苦い」です。
ほんっとに苦い!絶対体に悪いですw

死海は世界で一番低地にあるらしい。
つまり俺は今世界で一番低いところにいる・・・あんまピンとこないけどw


ほどほどにして死海の泥パックに興味を変えてみることに。
死海の泥はお肌をツルツルにしてくれる成分があるみたいで俺は出発以来どんどん
黒くなっていくお顔にがっつり塗ってもらった。
このままじゃメンズ●ッグに載れてしまう(笑
ケアしなきゃ!!

dead_sea.8
文字通り「顔に泥を塗られた」(笑
dead_sea.9
みんな子供に戻ってますw
dead_sea.10
ゴッド ブレス ユー!
dead_sea.11
ご、悟空~!!

散々笑って遊んで、ほんっとに久しぶりに有意義な一日だった。
風邪ひいて寝込んでたから余計楽しかった。
シャワー浴びてからはかなり寒くて風邪心配だったけど・・・。
とにかく宿に帰ったらすぐにホットシャワー浴びたから大丈夫かな?

dead_sea.12
晩御飯を食べたお店のメニュー。どっから数字なのかもわかりません(笑

ちなみにその日の夜はこの後の日程について死ぬほど悩んだ。

悩んで悩んで悩みぬいた結果・・・
中東はほとんどスルーしてエジプトに抜けることにした。
理由はいろいろあるけど一番の原因は・・・・

「とにかく寒い!!!!!」ってこと。

ヨルダンは好きだけど寒いのは大っ嫌い。
早く暖かいところに行きたいので明日から南下することに決定しました。
ってことでサーメルともお別れ。
暖かい空気と、暖かいネスカフェをありがとう!
みんな、ヨルダンに来たら是非サーメルのいるホテルへどうぞ。

dead_sea.13
サーメルと記念撮影。ほんとに物腰柔らかな人でした。
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さ、寒い・・・?。
2008-02-19 Tue 23:58
旅立ちから47日目の見聞録。
現在放浪6ヶ国目。
「ヨルダン」の「ワディ・ムーサ」に滞在しています。




な、なにこれ・・・。


petra.1
う、うそぉ~??!!

ここ中東だよね?
とうとう雪降ってきた。
しかも半端ない勢いの・・・。
寒い・激寒いっ!!

雪のせいでペトラ遺跡方面のジェットバスが動かないと言われた(泣
せっかく朝5時半から起きてるのに・・・。
散々タクシーに連れまわされてセルビス(乗り合いバスみたいなの)に乗り込み出発するの
を待つことに。
本来なら格安でいけるのに予想外の出費。
い、痛い・・・。

petra.2
真冬?

結局自分達の予定より4時間以上遅れてペトラ遺跡付近の街「ワディ・ムーサ」へ到着した

さ、寒い。。。
すぐに探していた安宿は見つかり荷物を置く。
今からだと3時間くらいしかペトラ見れないけどどうする?
の問いに即答で「行く!」。
ダッシュで行くことに。

ペトラまで行くのに宿のおっちゃんが送ってくれたんだけど、
日産のダットラかなんかで定員オーバーで荷台に乗る事になってしまった。
耳が引きちぎれるかと思うくらい寒かった。
懐メロ熱唱するしか暖をとる方法を思いつかなかった。

夏の日の1993。。。

選曲に特に意味はありません。
ってかどうでもいいです。
そんなこんなで俺らはペトラ遺跡入り口まで到着!
入り口で約40ドルの入場料(高い!!!)を払い、急いで中へ。

ハリウッドの世界に迷い込んだかと思うくらい非現実的な空間が続く。
実際ペトラはインディージョーンズの「最後の聖戦」のロケ地だというのはとても有名な話

切り立った断崖絶壁をひたすら歩いていくと・・・

petra.3
ひたすら狭まっていく道を歩いていくと。。。
petra.4
おお!?
petra.5
急に世界が広がる!やってきましたペトラ遺跡!

これは・・・またタージともアンコールワットとも違う壮大さがある。
でかい、すごい、そして寒い・・・。

petra.6
記念撮影。ドラクエ3のパーティーみたい(笑)

寒さのせいかなぜか布が大流行中のこのパーティー。
バラナシで日本人の女の子に「ドラクエ3の勇者みたいですね。」って言われてから
お気に入りの「勇者スタイル」。
四人集まるとほんとにパーティーだ(笑
しかもロケーションもすばらしいし・・・。
大昔の人たちの生活を勝手に想像してたら楽しくなってきた。

petra.7
ドンキーとラクダがいっぱいいる。

しかし話には聞いてたがペトラ遺跡・・・とにかく広い!
一番有名な正門から更に奥に入って遺跡群を見れるだけ見ようと思ったのだけど
行けども行けども終わりが見えない。

petra.8
洞穴住居跡?あ、こんちは。
petra.9
ローマ劇場跡的なプレース。
petra.10
山の上に遺跡が・・・。その麓でドンキーと戯れる。
petra.11
景色も素晴らしいのよ。見える?太陽光線。
petra.12
らくだのおっちゃん。

地図で確認して大体4分の3くらい周ったところで泣く泣く帰ることに。
宿で晩御飯予約してたんだけど・・・ビュッフェ形式の食べ放題。
ヨルダン入ってから比較的物価が高くて腹いっぱいご飯食べれなかったの(泣
もうひもじくてひもじくて・・・。
そのストレスが一気に解消された気分。
量もさることながらうまい!
4JDは最初高いかな?って思ったけど全然そんなことなかった。
若干家庭的な味も(たぶん)してうれしかった。
そしてそこで泊まっているいろんな人種の人達がみんなで一緒に食べるご飯はやっぱり楽しい。
そして寒い国の旅も悪くないかもって思った。
すっごい寒い思いして移動したあと、暖房が思いっきり効いてる部屋でみんなで食事。
きっと寒い国のほうが暖かいのかもしれないなぁ・・・。

petra.13
料理おいしかったぁ~そして楽しかったぁ~。

飯も終わり各々好き勝手にいろいろやりだす。
ちょっと外にでたらペトラの街の夜景がすごい綺麗だった。
中東は街灯もオレンジ色だから薄暗い分すごい夜景が綺麗らしい。

petra.14
これはデートスポットにどうでしょう?

楽しい夜もあっという間に終わりドミ(6人部屋)はまるで部活の合宿のよう。
暖房さえあれば(あと扉の立て付けが悪かったw)最強に気に入った宿でした。
「バレンタイン・イン」(歩き方にも載ってます)、おすすめです。
ドミ1泊3JD。
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長いようであっという間、やっとこさエジプト上陸。
2008-02-20 Wed 23:30
旅立ちから48日目の見聞録。
現在放浪7ヶ国目。
「エジプト」の「ダハブ」に滞在しています。




早起きしてワディ・ムーサからバスで2~3時間くらい。
ヨルダンのアカバへ到着。
朝宿出たときはあんだけ寒かったのにここは少し暖かい。
これは期待できそうだ♪

そして目の前に広がる青い海。
俺の中で今回旅に出て一番最初の分岐点はここだった。
憧れの海、

「紅海:RED SEA」

世界有数の透明度を誇る紅海でダイビングのライセンスを取ってしまおうと思っているわけですわ!
ということでこの辺りのバックパッカー達には超有名リゾート地、
エジプトのダハブ目指して今日はひたすら移動することにしたってわけ。

dah.1
乗ります!乗ります!

ここからフェリーに乗って国境を渡るんだけど・・・
これがまた曲者なんだよねぇ。
まず単純に料金が高い!
いろいろ情報が交錯していると思いますがこれが最新版です。
ヨルダン アカバ → エジプト ヌエバ
スピードボート 60USD(2008年2月20日現在)。

60ドル!

しかもこれにヨルダン出国税の5JD+エジプトのビザ代15USDが追加される。

酷い・・・。
実はこれもアンマンで死ぬほど迷った原因のひとつ・・・。
イスラエル側からエジプトに抜けるともっと安く行けるからそっちから行くか悩んだ。
(エルサレムからバスで4時間、エイラットという街のエジプト大使館でビザ発行。
 確か100シュケル。その後イスラエル出国税35USDでOK。エジプト ターバーに到着。)
しかしイスラエルのエジプト大使館が週末やってないのと
風邪で寝込んでてまだペトラに行ってないのが重なって、
そして激寒くて・・・

なんかめんどくさくなっちゃった♪

ほんと寒かったし。
ってことで結局ド高いフェリーに乗ってエジプト入国を試みた。

dah.2
超ひっさしぶりにカップラーメン食った!インドネシア産。
dah.3
多分ビザの引き換え券。多分です。だってなんて書いてあるかわかんないもん(泣

とりあえず7ヶ国目エジプトに入国!

時間にして1~2時間程度のものなのに無駄に4時間くらい待った・・・。
メンドクサイ。
ビザはフェリーの中で発行手続きしてくれるから便利だっただけど
エジプトついてからどうしたらいいかまったく説明もなくてわけがわからんかったわ。
なんだかんだやってたらダハブ行きのバスはとっくに無いとのこと。
ほんとに口惜しいけどセルビス(乗り合いバス)に乗ることに。

dah.4
これには乗ってません。あくまでこんな感じのフェリーね。

実はいろんなところでエジプトについてはいろいろ噂を聞いていた・・・
あのインド人様達と若干近いものがあると・・・。

早速乗り合いバスで一緒に乗って親切にしてくれた欧米人達と料金交渉を始めたが、
すっごい人数で一緒になって攻めてくるの。
インドだったらすっごい人数集まっても全員「我が、我が」だったけど
固まってひとつのことを主張してくるからこれはこれでかなりうぜぇ~~~!!
これはなかなかエジプトも楽しい旅になりそうだw

まぁなんとか話もまとまって1時間半程度走って目的地ダハブに到着!
距離的には全然たいしたことなかったのに辺りは暗くなってた。
それだけ意味不明な時間が多かったってこと。
みんなぐったりだ。
運転手に俺達の目的の宿の名前を告げるが「わからない」と言われる。
仕方ないのでそこから近いと思われる
「セブン・ヘブン」と言う有名宿まで連れて行ってもらうことに。
とりあえず一泊して明日ゆっくり考えよう。

dah.5
記念すべき初エジプト晩御飯!もりもり食ってたった10EP!約200円。
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旅に出る前からライセンスを取ることは決めてました。
2008-02-21 Thu 23:10
旅立ちから49日目の見聞録。
現在放浪7ヶ国目。
「エジプト」の「ダハブ」に滞在しています。



dah.6
セブンヘブンのコモンスペースでお休み中のわんちゃん。


昼前までゆっくり寝た。
そしてダハブにきて初めて明るい時間の紅海と対面できました。

す、素敵・・・(感動)

dah.10
記念撮影!海と俺!

えぇっとねぇ・・・青がねぇ、すごいの青が。
レッド・シーなのに(笑
テンションなんて寝起きからあがりっぱなしでたまりませんなぁw

dah.8
初コシャリ!

朝ごはんでサンドイッチ(エジプト風のピタサンドみたいなやつ)食べた。
なんと一個1PD!約20円。
物価だけで言ったら間違いなくこの旅最安!
インドよりダントツ安い。
しかも・・・結構うまいんだよねぇ。
観光地だからかな?ってか観光地でこの物価って・・・。
カイロとか行ったらもっとかぁ?

とりあえずせっかくエジプトきたんだから超有名ファーストフードでも食すか!
ってことで初コシャリにチャレンジ。
意外にもダハブにはコシャリ屋が一軒しかなかった。

さぁ、ここでコシャリを知らない日本の読者の皆様へ。
コシャリとはベースに「米」と「マカロニ」と「パスタ」をごちゃ混ぜにして
その上からトマトベースのソースをかけて食べるという(他に酢や辛味を混ぜたりいろいろ)
正直「なんで?」っていう食べ物です。

しかし、味は結構うまい!
これはインドのチャイみたいにエジプトいる間にかなりお世話になりそうだ。
ってかまずくなる要素はひとつもないからねぇ。
食べてみてもなぜこれらの炭水化物を一緒にしたかはわからなかったw
エジプト人の思考、恐るべし・・・。

dah.9
チャリダーさんのチャリを発見。意外に軽装備で驚いた。

今日から宿を変えます。
一泊したセブンへブンを離れ目的地だったディープブルーというダイビング宿へ移動した。
ここは「タコさん」という30代のイケメンダイバーがインストラクターしている有名日本人宿。
どうしてもダイビングをやってみたかったのと、
ライセンスを取るならなるべく日本人に教えてもらいたかった(どうしても言葉がねぇ・・・)からここに決めた。
なんとドミで1泊10PD(約200円!)。
エジプトでライセンス取得は大正解だったと思う。
滞在費が他でとるより断然安いから総合で一番安いと思う(「他」はそんなしらんが(汗))。

ちなみに俺が取得しようとしているのは(オープン・コース+)アドバンス・コースというやつで
最大30mまで潜ることができるライセンス。
5日間の実技+筆記でお値段400USD(115円計算で46000円)!
旅中の出費としては高いがライセンス取得の値段としては安いのでは?
しかも俺は最初からダイブすることは決めてたので迷いなし!

しかし残念ながら定員の関係で次の講習からになってしまうらしい。
次の講習・・・5日後。

5日・・・

「あ、OKです。」(即答)

他の場所だったら間違いなく店変えると思うけどダハブの空気と物価にまったく迷いなし。
だってこの宿漫画たくさんあるし、しかもWi-Fi無料なんだぜ!
漫画たくさんあってネット無料だったら5日と言わず一ヶ月ぐらい潰せます。
筆記なら3日後からやれるみたいだしめちゃくちゃダラけてやろうと心に誓った!

dah.11
シュノーケルを始めた兄さん。

現在のパーティーの2人がシュノーケルをやるのを見に行った。
水は冷たいらしいが海はほんとに透明だったらしい。
すごいやりたかったけど我慢・我慢。
だってダイブの瞬間まで楽しみにしときたかったんだもん♪

海辺をブラブラ散歩した。

dah.12
地元の子供が指差したサキには「ウニ」!
dah.13
ダハブは素敵なリゾート地!
dah.14
海辺の飯屋で。エジプトは猫が多い気がする。
dah.15
パフェを食う愛するパーティー。

とくになんもしてないけど腹は減る。
今日はせっかくなんでちょっと豪勢にシーフードを食することにした!
海鮮の扱いはやっぱり日本人が一番だけど衛生上の問題から旅にでてから
まったく食べてなかったので美味しかった。
なにより大勢で食べる飯は楽しい。
ウヒャウヒャ笑って素敵な夜を過ごした。

dah.16
テーブル満杯!

しかしこんだけたらふくエビやらイカやら魚の丸揚げやら食って
ひとり約40PD(800円)・・・。
日本でこんだけ食ったらいったいいくらすんだ?
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移動でもなく観光でもないのに楽しかった日。
2008-02-22 Fri 23:18

旅立ちから50日目の見聞録。
現在放浪7ヶ国目。
「エジプト」の「ダハブ」に滞在しています。



dah.17
コシャリ屋にきてた女の子達。
dah.18
コシャリどアップ。ね?「なんで?」ってなるでしょ?w

おは。
さぁダラ日が始まった。
最高。
元来超ナマケモノの僕ですから・・・。
楽しくてしょうがない。

コシャリ食ってブラブラ散歩。

dah.19
黒なまこ。
dah.20
水が透明なんですけど。
dah.21
う~ん、ビューティフォー。
dah.22
あんね、すごい。

あんね、はっきり言って地球の青さがそのまま目の前にあると思うの。
いや、思うのよ。
すごい綺麗。
ため息しかでない。

dah.23
物売りの少女達。

宿に戻ってブログの更新しながら(ネット無料だけどすっごい遅い。残念。)
働きマン読んでたらもう薄暗くなってきたw
すごい。きっと5日待ちなんてあっという間だ。

しかし今日とうとうパーティーのうち2人も離れ離れになることに。
夜行バスに乗ってカイロに向かうらしい。
自分もいつかはそうなるが正直寂しかった。
最後のご飯をみんなで食って見送った。

dah.24
楽しかったぜぇよ!

日本での日常では考えられないくらいの「出会い」が毎日あって、
その数と同じだけ毎日「別れ」がある。
慣れてたつもりだったけどやっぱり寂しい。


悲しくても寂しくても独りになっても旅は続くんだけどね。
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モーセが十戒を授かった場所。
2008-02-23 Sat 23:39
旅立ちから51日目の見聞録。
現在放浪7ヶ国目。
「エジプト」の「ダハブ」に滞在しています。



仲間を見送って約2時間後。
22日深夜23時ごろ。
なぜか僕はバスに乗っていた・・・。

昨日の夜、その場でほんとにノリで決定した。
一睡もしてませんが今からシナイ山登頂を試みます!
ちなみに僕こういうアクティビティなこと本来大っ嫌いです。
部屋で誰にも邪魔されずにゲームやってるとき幸せを感じるタイプですから。
まぁノリでもなんでも行くって決めたから・・・。

とにかく寒いらしいので俺の今回の荷物の中から最強中の最強装備で挑むことに。
水と朝飯のパンとパンにつけるチョコソースを持っていった。

深夜1時。
乗っていたハイエースが停まる。
なんか入山料(学生証あると10PD。ないから18PD)払えといわれた。
えぇ?聞いてないけど・・・。
まぁいいや。

ってか寒い!

えぇ~?ロンT+ロンT+パーカー+ダウン+マフラー+布(下はタイツ履いてます)まで

行ってるのにぃ!
やばい、この寒さはやばい。

シナイ山は有名なモーセがあの「十戒」を授かったとされている場所。
標高が高い為当然寒いってことは予測できたがここまでとはまったく予想外。
きつい・・・。

入り口についたら今度はガイド料(10PD)払えと言って来た。
はぁ?聞いてないし。
ガイドなんかいらないよぉ~。

散々エジプト人と近くにいたむかつくヨーロピアンカップルと揉めた結果・・・

結局払って登山を始める。

もう寒いしむかつくし全然寝てないしで・・・歩き始めて15分で嫌になってきた。
完全にネガティブモード。

ってか正直きついかもこの登山。
真夜中だから景色なんてまったく見えないし。。。
ただひたすら石の道をのぼりつづけるだけ。
いや、かなりきつい・・・。

ほんとのところ40回くらい「もう止めよう」って思った(汗
そこらじゅうにらくだもいるし、これに乗ってふもとに帰ろうって何度も思った。
別にらくだじゃなくても歩いて帰れるし・・・かなり弱気になってた。
でも反面「ここで引き返したら超かっこ悪い。」「今までの俺の人生みたいだなぁ」みたいな
感情もあってずっと「悩むな!なにも考えずただ足を前に出せ!」って自分に言い聞かせてた。
そしてある程度登りきったと思ったら更に階段800段(確か)!!



がんばれ!がんばれ、俺!(←超ストイックw)


そんなこんなでスタートから約2時間半。
「絶対無理!」って思ってたのになんとか無事登頂できちゃいました。
山頂の教会(?)跡で朝日を待つことになった。

がしかし、
登山途中は歩き続けて多少暖かくなってたんだけど
動きが止まったことでかいた汗が急に冷えだした。
ひぇ~~~死ぬ・・・。

山頂で毛布を貸し出してるエジプト人がいっぱいいたんだけど・・・
さすがに足元みてきやがりますのよ、これが。
歩●方に「山頂毛布5PD」なんて書いてあった(たしかね)けど
実際言われた値段は20PD。4倍。

「え?5PDって聞いてたけど?」って言ってみたけどまったく駄目。
「この毛布はすごいいい毛布だ」的な訳のわからんことを言われて値切り交渉も断念。

俺は足元見られて買うなんて絶対嫌だ!(っていう小さなプライドの為に)我慢することに・・・
我慢していい寒さじゃなくなってきたけど(泣

「もうヤダ・・・朝日なんてどうでもいい。帰りたい・・・。」

心が折れ曲がりそうになってきた矢先、空の色が変わり始めた。

shinai.1
え?なんかすごいんですけど。

うわっ。
なんかすごそう・・・。
「20PDだ!」って言い続ける毛布貸しを無視し続けて、もう少し我慢できる気がしてきた。

shinai.2
巡礼の方々がいっぱい集まってた。

あたりが少しずつ明るくなってくるのと同時に今自分がどういう景色の中にいるのかが見えてくる。
うわぁ・・・


太陽が地平線から昇り始めた。


shinai.3
シナイ山に昇る朝日。もう言葉はいらない。

息を呑む光景。ずっと真っ暗だったから影しか見えてなかった景色。
生命の源、太陽の光を浴びてすこしずつその形・色を表現し始める。
すごい、めちゃくちゃ綺麗。

shinai.4
どう?やばいでしょ。

あきらめなくてよかった。。。
何度も「止めよう」、「もう嫌だ」、「無理だ」って思ったのに・・・がんばって登ってよかった。
たかだか山登り(標高2100m程度)だけど
あきらめなければ到達できるって自信がちょっぴりついた気がした。

ここはモーセが「十戒」を授かった場所、シナイ山。

今、その山頂でとんでもなく綺麗で神聖な朝日を見つめてる。
ただそれだけで気持ちがいっぱいになってきた。

登山っていいね。
「登りきる」って目標があってしんどい道のりをひとすら登りきったときの達成感。
「自分だってやればできるんだ」って簡単に思わせてくれる。
自信につながるんだ。

shinai.5
登頂記念撮影。3人共諦めずに昇りきりました。
shinai.6
祈りを捧げてきました。無信教だけど(汗
shinai.8
中東のグランドキャニオン?!。

小一時間くらい疲れも忘れてキャッキャ・キャッキャしてたんだけどふと現実に戻される。
あぁ・・・帰りも来た道と同じだけ歩かなきゃ・・・。
し、しんどぉ~い!

さっきの撤回。
登山・・・帰りはほんとにしんどい(泣
太陽が出はじめたら今度はたっぷり汗かくくらい暑い。
この温度差にはビビるわぁ・・・。

shinai.9
俺らほんとにこんな道とおってきたのか?。
shinai.10
な、なんかむかつくぜ!(笑)。

登るときとほとんど同じ時間かけてふもとに到着!
そのまま世界遺産に認定されているセント・カトリーナ修道院を見学。
帰りのハイエースの中で一緒だったコリアン・ガールと仲良く会話してたら
無事ディープブルーに帰還!
昼の12時過ぎだった。

はぁ~長っい夜だった。。。
生活のリズム崩したくないから夜まで寝ないけど今日はぐっすり寝よう。

ちなみに今日ヨルダンからずっと一緒だったパーティーの最後のひとり
(お兄さんって俺は勝手に呼んでた)がカイロに旅立ってしまった。
最後の晩飯は一緒に韓国料理食べたけどめちゃくちゃ美味しかった。
(シナイ山の帰りのハイエースでコリアンガールのおススメだった店)
結構お兄さんの空気が好きだったからやっぱり寂しかった。
俺は明日からダイビング(筆記)が始まる。
だから仕方ないことなんだけどね。



ダハブの夜がまたひとつ落ちていく・・・。



shinai.7


日本に帰るまでにあと何回の出会いと別れを繰り返すんだろう?





追伸
結構しんどかったのに・・・トレッキングとしては結構楽な部類に入るみたいです、シナイ山。
まぁ片道2.5時間だしねぇ・・・あれですよ、寝不足だったからしんどかったんですよ、きっと。
(汗
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久しぶりに頭使ったらプスプスいいだした・・・。
2008-02-24 Sun 23:18

旅立ちから52日目の見聞録。
現在放浪7ヶ国目。
「エジプト」の「ダハブ」に滞在しています。




dahabu.1
ディープブルーのコモンスペース。Wi-Fiフリーのため快適。

今日からやっとダイビングの筆記が始まる。
って言ってもひたすら本読んで自習なんだけどね。

まずはオープン・ウォーターの勉強なんだけどこれが思ったより量が多い。
本一冊まるまる読まなきゃ。

dahabu.2
漫画も我慢して勉強・勉強。

ってことで今日は朝から晩まで一日中勉強。
ダイビングのビデオを3時間見なければいけなかったので途中から観覧タイム。
一緒にダイブする子は15分で寝てた(笑

dahabu.3
クラスルーム前。
dahabu.4
ビデオ勉強中・・・。
dahabu.5
なのにやっぱり遊んでる(汗)。新撰組や!

あぁ・・・しかしやっとダイビングが始まった。
ちょっと自分が旅してるのを忘れ始めてる今日この頃。

ダハブはほんっとに居心地いいなぁ・・・

dahabu.6
今日も10PDチキンコース。
dahabu.7
エジプトにルナが!(笑)。
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昨日のリピートか?って日。
2008-02-25 Mon 23:21

旅立ちから53日目の見聞録。
現在放浪7ヶ国目。
「エジプト」の「ダハブ」に滞在しています。



dahabu.12
夜のダハブ。

今日も昨日に引き続き朝から勉強タイム。
今日の夕方4時半が宿題のタイムリミットだから結構ギリギリだぁ!
読み始めて気になってしょうがない「ARMS」も我慢してひたすら勉強勉強・・・。

おかげでタイムリミットいっぱいでなんとか間に合った。
答えあわせと同時に明日から始まる実技のメンバー同士で自己紹介。
小テストもなんなく終わっていったん勉強から離れようと。

ひとりダハブの夜を散歩。
ひとりダハブのカフェでティータイム。
ひとりダハブの海で・・・

なんか心地よい寂しさだなあ。

dahabu.8
毎日必ずいく24時間営業のスーパー。
dahabu.9
ストリート。
dahabu.10
雑貨屋さん。
dahabu.11
ストリート2。
dahabu.13
ひとりティータイム。シャーイ(あま~い紅茶)。

セブンへブンに仲良くなった子達がいるから久しぶりに遊びにいった。
ミサンガ作ってもらったりビール飲んだり馬鹿話して盛り上がってたら
夜中3時になってた。
どおりで・・・年のせいか夜遊びすると目の下にクマが・・・(笑


明日から実技始まるからとっとと寝ます。
おやすみzzZ
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まったかいあって本日初の水中体験でした。
2008-02-26 Tue 23:19
旅立ちから54日目の見聞録。
現在放浪7ヶ国目。
「エジプト」の「ダハブ」に滞在しています。




今日からいよいよオープンウォーターの限定水域ダイブの始まりじゃぁ!
プールみたいな環境(まぁ浅いところ)でダイビングに慣れる練習をしました。
残念ながら天候は風強し・・・ちょっと肌寒い。
それでも初めて着たウェットスーツにはテンション上がった。

フル装備して海まで歩いたけど・・・お、重!
タンクがかかったBCD(ジャケットみたいなやつ)はオレのバックパックより重く肩にのしかかってきた。
さらに腰には10Kgの重り(ウェイト)も巻いてるし・・・これほんとに浮かべますか?


という俺の予想と裏腹に全然沈まなくて大苦戦!
意外と人の体って浮力強いのね。

しかしまだ浅瀬なんだけど紅海の透明度の高さには感動したw
今日は天候のせいで波も強かったからかあまり透明度よくなかったらしいけどそれでも十分綺麗だった。

とりあえず初日はほんとに初歩的なことをいくつか練習して終了した。
しかしまったく自分の意思で沈んだり浮かんだりできないからちょっと凹んだわ。

帰ってきてから学科タイム。
宿題の答え合わせの残りをやってやっと自由になった。

今日は昼から一本、しかも初歩的な練習しかしてないのにすごい疲労感に襲われた。
これは一日に2本や3本なんてほんとに潜れるんかや?

dahabu.14
夜のダラけタイム。

しっかり疲れたらしっかり飯を食いにいかなきゃいけません。
ちょっと奮発して今日はダハブ唯一の韓国レストラン「サンレストラン」へ。
宿の子ほぼ全員で食べにいきました。
前にも行った事あったんだけど本場の人間(韓国人の奥さん)が作ってるだけあってやっぱりバリうまっ!!
今日はプルコギ食べて精気を養ったとさ★

dahabu.17
悩み中・・・。
dahabu.15
前菜でキムチ、なすの漬物、ジャガイモの小料理が出ます。うまいです。
dahabu.16
エジプトで食ったプルコギ。ライスがついてきます。

飯も食ってだらだらしてたんだけど・・・なんだか肩が重い。
う~ん、なんだろこの肩の重みというか痛み・・・。
気になるなぁ・・・。
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ダイビングって超楽しいかも!!。
2008-02-27 Wed 23:28
旅立ちから55日目の見聞録。
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原因不明の肩の痛みに襲われて夜中ほとんど寝むれなかった・・・。
肩こり?筋肉痛?なんだか今までに味わったことないような・・・
痛みなのか重みなのか・・・よくわからん。
しかしとにかく睡眠欲求不満な朝。

今日は朝から1回、昼から1回の計2回潜る。
当然昨日よりさらにハードだからしっかり寝ときたかったんだけどねぇ・・・。

まぁしゃあないってことでいつもの24Hオープンしてるスーパーでパン買ってきて食う。
旅にでて不本意ながらパン食が増えたなぁ。
俺は日本では完全なるご飯or麺食者。
どーしても海外でるとパンが増えるのはしんどぃ・・・。

あぁ・・・赤だしと納豆食いたい・・・

疲れてると弱気になっちゃうけどそれでも楽しいダイビング!
はりきって潜っちゃうよ~~~~♪

dahabu.18
初披露!ウェットスーツ装着後。

まず午前中の1回目は限定水域ダイブの2回目。
今回も水中での基本的な動作の練習をした。
昨日まったく思い通りに浮き沈みできなかったがこの練習でちょっとだけわかった気がした。
呼吸方、キック、姿勢・・・いろいろ原因はあるけど一回沈んでしまえば比較的楽に調整できる。

しかし一回水面まで浮かんでしまうとなぜかもっかい沈むのが難しい。
う~ん、よくわからん。
とにかくいろいろやるしかないわなぁ。

dahabu.19
毎日大量発生するハエを大量殺戮するツバサ氏。

一回目終わってディープブルーに帰ってくる。
正直きつい・・・。
あぁ頭痛いのはなぜでしょうか?
俺が耳抜きヘタだから?
それとも・・・

まぁあんまり深く考え込まず仮眠をとって午後から本日3回目のダイブへ。

ここでとうとう練習の後にかるく泳ぐことになった。

・・・すげぇよ。
ちょ~っと潜っただけなのにお魚さん達がわんさか×2。
ニモもめっちゃいる!
でっかいカサゴみたいな魚や色とりどりの熱帯の魚、エビもいた!
触れてもいいって言われた水中植物に恐る恐る手を伸ばしてみると
なんか吸盤で吸われたみたいな感触があっておもしろかった。
後から「これ毒あるよ」って言われて「なんで触らしたw!」ってネタになった(笑
なんでもこの毒に小魚達が守られてるらしい。

とにかく文章でこの素晴らしい水中体験を表現するのは(俺の文才じゃ)無理。
しかし水中カメラを使わせてくれるのはアドヴァンスコースに入ってから
らしいので後2日は写真なし。。。



あぁ~早く写真とって自慢したいわぁ~。



しかし年には勝てないのでしょう?
それともなにか他の原因があるんでしょうか?
疲労と頭痛が止まないなぁ・・・。

こういうときはがっつり飯食って体力回復しよう。
ってことで散財してパスタとハンバーガーを一気に食った。
めちゃ腹いっぱいになったんで今のオープンメンバー&タコさんと一緒に海が見れるバーで

飲み会になった。
紅海を見ながら飲むステラ(エジプトビール)は格別。
結構遠いけど「向こう岸に見えるのはサウジアラビアだ」と教えてもらった。
う~ん、ロマンティック。

dahabu.20
飲み会の記念撮影ってなんだか久しぶりw。

しかし情けないことに疲労と頭痛でビール二本でダウン。
申し訳ないけど一人先に宿に帰ることに・・・。


夜の海沿いを一人歩いて気付いた。
「あ、俺今旅中だったんだ・・・。」
ダハブ満喫しすぎてちょっと忘れてたw


ライセンス取ったらそろそろ考えないとなぁ・・・。
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オープンゲット!ダイバーの仲間入りだぁ。
2008-02-28 Thu 23:52
旅立ちから56日目の見聞録。
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オープンウォーター講習最終日!
今日も朝から思考も生活もダイビングでいっぱいの一日。

diving.2
右からたこさんとオープンウォーターメンバー。

・・・
昨日から始まった頭痛が治まるどころかめちゃくちゃ酷くなっている(泣
頭ぎゅ~~~~って締め付けられてる感じ・・・
痛い・・・。
でもライセンス取得するって決めた以上あきらめる訳にはいかない。
たこさんには内緒にして気合で今日も臨むことにした。
(ダイビング前には絶対薬を飲んではいけないので鎮痛剤もまったく抜き)

diving.3
上から準備を覗く。
diving.1
テンションあげていってきます!俺の笑顔かなり強引・・・頭痛い・・・。

死にそうになりながらも余裕の表情を作ってた自分にちょっと驚いた。
旅に出てちょっとは強くなってきたんかな?
と自画自賛もむなしく午後からの講習で初めて「ダイビングって・・・ナメたらいかん!」って思い知らされた。

「水中でのマスク脱着」。

名前の通り水中でマスクを取ってもう一度付け直すってスキルなんだけど
もともとこれやるの憂鬱だったんだよねぇ・・・。
俺コンタクトだからこれやるとき水中で目を閉じたまんまにしとかないといけなくて・・・。
昔から水中で目を開けるのは全然平気なんだけど目を閉じるってのがすごく怖かったんよ・・・。

実際本番でもドキドキしすぎてなかなかマスク取れなかったわ(汗
思い切ってエイ!ってマスク取ったんだけど普段マスクに入ってる鼻が水中にさらされるのが大問題。
どうしても鼻に水が入ってくる故まじで溺れるかと思った(泣
もう口で息吸ってんのか鼻で吸っちゃってんのかわからなくなってメダパニ状態。
しかも真っ暗だし・・・

2回やってなんとか1回成功した(1回目はマスクつけてる途中で水面まで浮上しちゃったw)。
しかしもう二度とマスク脱着やりたくない!
涙目になりながら水中ではマスクにはほんとに気をつけようと心に決めた僕でした。


とりあえず午前中の講習が終わって宿に帰る。

diving.4
昼食はおなじみコシャリ。今日はサイズL。

今日はオープン最終日だったので午後からの一本は講習というより比較的ファンダイブに近かった。
とうとうさんご礁いっぱいのポイントをダイブできる。

胸いっぱいの期待を持っていざ海へ。
頭痛も忘れるくらい気持ちがいっぱいだった。

そして紅海は期待を裏切って余りある感動をくれた。
さんご・・・すげぇ!
めちゃ綺麗・・・。
竜宮城を泳いでるみたい。

しかしタコさんから言わせればこれでもハイシーズンに比べれば透明度はあまりよくないそう。
絶好調の紅海はいったいどんなことになっちゃってんだろう?



無事午後のダイブも終わりちょっと休憩してから学科の最終テストをした。
まぁなんなく合格できたから問題はなかったけどね(えっへん)。
(4択問題50問。1問2点で75点合格。)



以上でオープン・ウォーターの講習が終了。
・・・ということはこれで俺もダイバーの仲間入りってことになった!
こ、こんなアクティブな趣味初めてっす(涙
趣味「漫画、ゲーム・・・」の根暗っ子だった自分とさよならだぁw
やぁったぁ!


しかし疲れた。
頭痛はいっこうに止む気配ないし。
多分これ結構な熱あるぞ・・・。
絶対計らないけど。
明日からアドヴァンスコースが始まる。
しかも明日1日に3本も潜るし・・・気合で治そう。


とりあえずお休みzzZ



おまけ。
突然だけど今泊まっているディープブルーダイバーズの内部公開!
diving.5
俺が泊まってる男子ドミ。セキュリティーボックスもあります。8人部屋。
diving.6
部屋をでてコモンスペースへ。常に笑い声と音楽が絶えません(懐メロ中心)。
diving.7
漫画部屋。夜なんで暗くて申し訳ない。働きマン、ARMS、おかみさんは制覇したぜ!まだまだいこう。
diving.8
コモンスペース。大体誰かいますね。
diving.10
トイレ・シャワールーム。なんとホットシャワーです!リッチ!
diving.9
トイレの流しボタン。このボタンを押すと水が流れる。
diving.11
エジプトコンセント。
diving.12
ご協力よろしくお願いします。
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キラキラワールド♪乙女のポリシー編。
2008-02-29 Fri 23:59

旅立ちから57日目の見聞録。
現在放浪7ヶ国目。
「エジプト」の「ダハブ」に滞在しています。




う”う”う”・・・
頭痛が止まない・・・
むしろ悪化してる・・・


しかし泣き言も言ってらんない。
今日からアドヴァンスコースの講習が始まる。
気合で乗り切るぜっ!

diving.13
陸上でのコンパスの使い方講習。もといた場所に帰ってくる練習。

アドヴァンスのライセンスを取ると水深30mまで潜れるようになる。
潜れることによっていろんなポイントにいけるようになるんよ。
ダハブで「ダイビングって本当に楽しいなぁ~って思えるのはアドヴァンスからだ」って
言われてたんだけど・・・今日、それを理解しました。




午前中のダイブは水中でのコンパスの使い方を練習。
その後さんご礁のポイントを泳いで終了した。

午後は「アイランド」と言われるポイントへ行くことに。
もうここまでくると講習というよりファンダイブ。
いろんな注意事項を守りながら楽しむ余裕も出てきてる。

アイランドは見渡す限りさんご礁。
さんご礁の山が水中にそびえたってた。
そこに群がる小魚たちも色とりどりの南国仕様。
目の前に広がる世界が素敵過ぎてため息しかでない。
(水中だから全部泡になっちゃうけどw)

実は今日から水中カメラも使える予定だったんだけどいろいろな大人の諸事情(?)から
タコさんが家にメモリーカードを忘れてしまいカメラは明日になってしまった。
う~ん残念。
しっかり心のシャッターを切っておこう。

無事アイランドから宿に帰還するも体力的にはクッタクタ。
ダイビングって想像以上に体力を消耗する。

diving.14
タンク。

一日に3回は正直しんどい・・・
しかも止まない頭痛も抱えているし・・・
あぁ・・・ギブアップしようかな~
なんて弱気になりながらもせっかくのナイトダイビング。
絶対に逃すわけにはいかないんだよねぇ。

そしてこのナイトダイビング、結論から言うと・・・


すっげぇよかった!


一生の思い出になると言っても過言じゃない。
体の疲れも頭痛も弱音も全部吹っ飛んだ!
夢の世界。まさにファンタジー。とにかくやばい。

水に潜るときは真っ暗だし、めちゃ寒いし、頭痛いし、疲れてるし、なんか怖いし、
6人で懐中電灯持って潜るのも異様な光景だしで正直あんまり期待してなかったんよ。
でも水底がある程度なだらかなポイントに到着。
タコさんからの「ライト消す」サインがでる。
ふっと辺りは真っ暗に。しかも水中で。怖い。
と、すぐに手のひらに異様な光景が。



キラッキラ~♪
キッラキラ~、キラキラ~♪

(注:あくまで視角を文字にしました。こんな音はしてませんw)


な、なにこれっ!?
すごいキラキラ!すごいキラキラ!えぇっと、キラキラ!(笑

まさか生まれて初めて「夜光虫」見た場所が水中だとは。
しかし普通に「夜光虫」見てほんとにこんなに見れるの??
っていうくらいものすごい量だよこれ!!

手を動かすとそれに沿ってキラキラ~♪
足を動かすとそれに沿ってキラキラ~♪
海草をなでるとバッサァ~ってキラキラ~♪
もうとにかくキラキラ~♪
すげぇ!すげぇ!すげぇ!×100

一緒に潜ってた全員がロマンチックな世界で夢見る少女になってた。
みんな自分の世界に酔ってしまった瞬間。
これは恋人同士で見たらそ~~~~~と~~~~~いいぜ!!
彼女いないけど・・・。

水から上がってからも興奮は冷めずみんなテンション上がりっぱなし!
寒さも頭痛も疲労も忘れてキラキラトーク♪。
これはたとえカメラがあったとしても写真で伝えるのはほんとに至難の技。
これからダイビングされる方、絶対紅海のナイトダイビング行ったほうがいいですよ。
ライセンスの取得にもしナイトダイビングがないコースだったら
そこでとるのは止めたほうがいいって言うくらい潜る価値あります。

diving.15
疲れが顔に出る年齢になってきましたw。
diving.16
今日の晩飯は海辺の中華レストランで食べた一番安いチャーハン(笑)8ポンド(約160円)。


紅海は夜でもわずかな光でその透明度がわかる。
随分長いこと一人ぼ~っと海を眺めてた。


日本でいろんなことがあった。
別に死んでもいいやぁっていつも思ってた。
なんに対しても心なんて動かなかった。
どれだけあがいても泥沼生活から抜け出せなかった。

今日、今までに見たこともない「綺麗なもの」を見て心の底から感動した。
旅に出てよかった。
ダハブにきてよかった。
ディープブルーにきてよかった。

俺の心はまだ動く。

それがわかっただけで本当によかった。
もう薄々気付き始めてたんだけど・・・思考が「前向き」になってきてる。
たくましくなったとか、強くなったとかは正直わからない。
でも「前向き」思考に知らず知らずのうちになっているのは実感している。
この旅を決意する少し前の自分からはとても考えられない。
自分が変わっても変わらなくても別にいいやって思って旅にでたから。
そして別に今、自分が「変わった」とはあまり思ってはいない。
俺は基本的にあの頃のまんまだ。
すべてを忘れたわけでもない。
忘れれるわけなんてない、ありえない。
でも旅に出てちょっとずつだけど俺の中で元々あった「なんか」が広がってて、
「空間」みたいな・・・それを自分自身の「世界」って言うのかどうか知らないけど、
そこにいろんなものが流れ出して、混ざり合って・・・。
そんな感じ。


新しく発見した自分も今まで付き合ってきた大嫌いな自分も「全部自分」。
あぁ、俺が一番わかってなかったのは他でもない「俺」のことだったんだなぁ。


独りでいきがって、
独りで強がって、
独りで当り散らして、
独りで泣いている自分を愛してあげよう。
少なくとも愛せるよう努力しよう。
もう一度「自分」を愛せるように。
もう一度「誰か」を愛せるように。


ダハブは本当に居心地がいいなぁ~♪
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| 濡音的地球見聞録。 |
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