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神秘の迷宮ベンメリアと地雷を思ふ。
2008-01-11 Fri 23:31
旅立ちから8日目の見聞録。
現在放浪2ヶ国目。
「カンボジア」の「シェムリアップ」に滞在しています。




時間がなくて朝飯はパンと水。
今日は神秘の迷宮ヴェンメリアへ。
車に揺られること1時間弱。のどかな場所へ。
アンコールワットが一辺1.5kmもある超巨大遺跡に対して
こちらは比較的こじんまりとしている。
そのうえ侵略戦争と自然の力でほとんど遺跡は壊れて瓦礫の山状態(パルス発動状態)。
そのせいか観光客が全然いなくてリアルラピュタ気分を体験でき、遺跡自体より雰囲気に大満足した。

ベンメリア遺跡前で。
ベンメリア入り口にて。彫刻は大蛇。蛇は水の神として祭られている

ヒンドゥー教にはビシュヌ神・シヴァ神・ブラフマ神と呼ばれる三大神がいる。
ヴェンメリアはビシュヌ神を祭る神殿。
アンコールワット同様カンボジアの山の中からゾウに運ばせてきた岩を使って建造されている。
岩には穴が開いていてその穴に杭のようなものを打って引きずってきたらしい。

遺跡の修復の予定はあったのだけどいざやるってなったときカンボジアはポルポト政権時代。
修復どころじゃなくなってしまい、今だに修復の予定はたっていない。

ベンメリア1

ベンメリア2

ベンメリア3

ベンメリア4

ベンメリア5

ヴェンメリア内は地元の子供達の遊び場で、あいかわらず最後には
「1ダラー」って言われたけどそれでも地元の子供達とのふれあいは楽しい(お金はあげないけど)。
元気いっぱいに遊ぶ子供達とガイドにカンボジアの言葉(クメール語)を教えてもらう。

ベンメリア6
子供達はほんとにかわいい。

「ありがとう」 → 「オークン」

でもあんまり通じてる感がない(汗
俺の発音か?カタカナクメール語じゃだめか・・・?

数字の数え方。

1:オエ
2:ピー
3:バイ
4:ウォン
5:プラン
6:プランオエ    
7:プランピー
8:プランバイ
9:プランウォン
10:ナァーム
(6~9は「5+○」という考え方。

やはり外国にきている以上最低でも「挨拶」と「ありがとう」くらいは現地語を覚えたいところ。
英語もままならない俺には厳しいかもわからんが。

ベンメリア入り口付近にあった食堂(民家?)で昼食。
いろいろのっけてご飯つきで2.5ドル。
安いって思っちゃうけどカンボジアの物価考えればぼったくり料金。
まぁ観光地だからしょうがないか。

ベンメリア7
陽気なおばちゃん。ご飯を特盛にしてくれた(笑
ベンメリア8
割とおいしかった。しょうがと豚の炒めものはどこで食ってもうまいが。
ベンメリア8
たぶんこの家の子供。ぎ、ぎざカワユス・・・。

そのあとの候補を2つ持ってた。

・トレンサップ湖(東南アジア最大の湖)
・地雷博物館

悩んでトレンサップ湖にしようと思ったら一緒にベンメリア周ってたツチヤさんという人が
「明日トレンサップ湖をボートでプノンペンまで縦断しませんか?」と誘ってくれた。
このあとプノンペン(カンボジアの首都)→ベトナム(ホーチミン)を考えていたので2つ返事でOK。
ただ・・・シェムリアップ → プノンペン間はバスだと8ドルくらいだけど
ボートだと25ドル!うーーーん、、、高いけどしゃあないか。
到着時間は変わらないらしい。

ということで地雷博物館へいくことに。
「いくことに」なって軽く言っちゃったけどベンメリアからさらに車で1.5時間くらい車で走った。
しかもまたしてもノン舗装道路。ガッタンガッタン!う”~んケツが痛い・・・。
さらにのどかな場所に到着。
車代5ドル(ぼったくりちゃうんか?!)入場料1ドルを払って施設に入る。
いきなりデンジャーゾーン発見。地雷が顔を覗いている(当然爆発しないようになってます)。

地雷博物館1

地雷博物館2


こ、怖い・・・
畑を耕してたらいきなりこれがでてくる生活って・・・
しかし日本でも今だに不発弾が見つかることがあるんだからカンボジアはもっと深刻だろう。
施設に入ってビデオを最初に見た。英語のビデオだったけど地雷の恐怖はビシビシ伝わった。
一緒にいたメンバー全員誰一人一言も発しなかった。
その後展示されていた処理済みの地雷や爆弾・ミサイルを見学してもう一度TVの部屋に戻った。

地雷博物館3
撤去した地雷の山。
スタッフが日本のTVを録画したものを見せてくれた。
「世界バリバリバリュー」。司会は当然シンスケさん(顔みたらホッとした)。
出演者が熊田曜子やユンソナに加えてケントデリカットや兵頭ゆき・・・いつの????
この人達かぶってましたっけ???
まぁ無意味にバリバリバリューを見たわけではなくて(当然だけど)
カンボジアの地雷に関する問題だった。

地雷は人を殺す為の兵器じゃない。
地雷はわざと人間の足一本、腕一本だけを吹き飛ばすよう調整されているそう。
想像してみて。戦場で死んでしまった仲間は置いていけるかもしれないけど
大怪我を負った友達をおいていけますか?
しかももっと嫌な言い方をしていて・・・戦場では死んだ兵士より傷ついた兵士のほうが

「お金」がかかる・・・

この最低で卑劣な兵器。いったい一個いくらで作られているのでしょう?

一個・・・


600円程度。


・・・ため息しかでなかった。しかも600円を撤去するのにかかる費用は何倍もする。
まさに人類の負の遺産そのものだと思う。
この負の遺産を未だに製造している国がいくつかある。
理由はいろいろだろうが第二のカンボジアをまた作ろうとしているのだろうか?

TVはそのまま「アキ・ラー」の話に移る。
「アキ・ラー」はカンボジア人だがその名前から日本でも現地でも「アキラ」の愛称で呼ばれている。

アキラが生まれたのは73年ごろ(アキラは自分の正確な年齢を知らない。大体35~6くらい)。
時はポルポト政権下の時代(ポルポトはヒトラーより虐殺をしたのではないかといわれている
カンボジアの独裁者。当時のカンボジアの人口の3分の1を虐殺したのではないかと言われている)。
当時の人の命は軽かった。
アキラ自身5歳のころ両親をポルポト兵に殺される。
友達は空腹に耐えかね豚のエサを盗んで食べ、殺される。
飢えからバナナを盗もうとした村の男は、妻子の前で内蔵をえぐりだされた。
しかも処刑の間妻子は兵士から「笑え」「拍手しろ」と強制された。
これがほんの30年程前の出来事って信じられる?

アキラはこの後わずか10歳でカラシニコフ銃の扱い方を教えられ戦場へつれていかれる。
断れば殺される「ノーチョイス」の世界。しかも両親を殺したポルポト軍に・・・。
85年頃今度はベトナム軍が村に現れ徴兵される。
「地雷よけ」として将校の前を歩かされた。
密林での戦闘ではわずかな水しかなく尿で米をふやかして食べたことが何度もあったそう。
そのころは指令としてとりつかれたように地雷を毎日毎日埋め続けたという。
・・・言葉がでない。こんな世界想像すらしたくない。
こんな体験を俺らのおじいさんおばあさん達もしたというのだろうか?
どうして俺らが平然としていられるのだろう?
誰も言葉を発しない。日本で聞くより現地で聞く日本語はとても重く俺達の心にのしかかった。

アキラは戦争からようやく開放され、やっと幸せで穏やかな生活を送れるはずだった。
しかし目の前には自分が埋めたかもしれない地雷で苦しんでいる人達がいる。
その光景はアキラを深く苦しめとうとう私財を投げ打って地雷撤去活動を始める。
自宅を地雷博物館とし、手足を失った11人の子供をひきとり父親がわりになって生活している。
アキラの奥さんはアキラが地雷処理の依頼が入ると毎日お祈りしてアキラの帰りを待つ。
家族はたまらないだろう・・・。

アキラは依頼があれば地雷撤去に飛んでいくが活動はボランティアの為基本的にお金は取らない。
俺が見た依頼は対戦車地雷の上に対人地雷が置かれたトラップ式のものだった。
民家のおばちゃんが畑を耕してたら金属音がしたので連絡したという。
非常に撤去が難しいらしい。
爆発処理してしまえば楽なのに・・・なんとアキラは
「周囲の民間に被害が及ぶ」という理由で不発
処理することに(!)。つまり手作業撤去。
対戦車地雷のほうは爆発すれば周囲100mは被害を受ける。
ひとつの失敗=死 の世界。結局アキラは14時間一睡もせず2つの地雷を撤去した。
14時間文字通り命をかけて2個。

村人はいたく喜び、お礼にとアキラに渡した。
アキラは断ったが村人の気持ちを断りきれずもらった。


ニワトリ1匹と、


約60円(!!!)



ろ、ろくじゅうえん?
14時間一睡もせず常に命をかけて撤去して60円。
1回40万円でもやりたいとは思わない。
急に「水が1ドルで高い」とか言ってる自分が恥ずかしくなった。
俺は「貧しさ」も「豊かさ」も「お金の価値」もなにひとつわかっちゃいない。
こんな世界があるなんて・・・

地雷をこの世から無くすために自分になにができるのだろう?
根源は戦争だな。中毒性のあるこの愚かな行為を人間は辞めることができるのだろうか?

自分の両親を殺したのと同じ元ポルポト兵に対してアキラは言った。
「悔しくないのかって?ノー。怒ったらまた戦争になります。彼は生き方を選べなかった。
 昔の私も彼と同じです。」


俺は自分の小ささが恥ずかしくなった。


アキラは一番右上。
一番右がアキラ。彼は病気があってその治療にときどき日本にきている。会ってみたい。


夜も更け明日からのプノンペン行きに備えて荷物をまとめる。
旅に出て初めて仲良くなったキュウちゃんとは今日でお別れになる。
彼はこの後タイに帰ってインドに飛びインドとネパールを冒険するそう。
俺はまだ来月だから先だけどもしかしたらまた会うかもね。

さらばキュウ!また会う日まで!!


「出会い」と「別れ」を経験する。
俺は「別れる」ことにはやく慣れたい。
「別れ」は新たな「出会い」であるとはやく理解したい。

3日間同じ部屋で寝泊りしてたユウタとも今日でお別れ。
ユウタが他の旅人から聞いた言葉がすごく気に入ったんで紹介します。

「必要なときに必要な人間と不思議と出会う」

旅にでてわずかだけどもうすでに実感している。
きっと日本にいるときもそうだったんだろう。
俺はいろんな人に助けられて生きている。
間違いなく自分ひとりで生きてきたなんてことはない。

なにかこの旅の間で答えが見つかるのだろうか?
アンコールの街の夜が更ける。
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